か。薄きたない。間一髪のところで、こらえた。この編上げの靴の紐《ひも》を二本つなぎ合せる。短かすぎるようならば、ズボン下の紐が二尺。きめてしまって、私は、大泥棒のように、どんどん歩いた。黄昏《たそがれ》の巷《ちまた》、風を切って歩いた。路傍のほの白き日蓮上人、辻説法跡の塚が、ひゅっと私の視野に飛び込み、時われに利あらずという思いもつかぬ荒い言葉が、口をついて出て、おや? と軽くおどろき、季節に敗けたから死ぬるのか、まさか、そうではあるまいな? と立ちどまって、詰問した。否、との応えを得て、こんどはのろのろ歩きはじめた。死んでしまったほうが安楽であるという確信を得たならば、ためらわずに、死ね! なんのとがもないのに、わがいのちを断って見せるよりほかには意志表示の仕方を知らぬ怜悧《れいり》なるがゆえに、慈愛ふかきがゆえに、一掬《いっきく》の清水ほど弱い、これら一むれの青年を、ふびんに思うよ。死ぬるがいいとすすめることは、断じて悪魔のささやきでないと、立証し得るうごかぬ哲理の一体系をさえ用意していた。そうして、その夜の私にとって、縊死《いし》は、健康の処生術に酷似《こくじ》していた。綿密の損得勘定の結果であった。私は、猛《たけ》く生きとおさんがために、死ぬるのだ。いまさら問答は無用であろう。死ぬることへ、まっすぐに一すじ、明快、完璧の鋳型ができていて、私は、鎔《と》かされた鉛のように、鋳型へさっと流れ込めば、それでよかった。何故に縊死の形式を選出したのか。スタヴロギンの真似ではなかった。いや、ひょっとすると、そうかも知れない。自殺の虫の感染は、黒死病の三倍くらいに確実で、その波紋のひろがりは、王宮のスキャンダルの囁《ささや》きよりも十倍くらい速かった。縄に石鹸を塗りつけるほどに、細心に安楽の往生を図ることについては、私も至極賛成であって、甥《おい》の医学生の言に依《よ》っても、縊死は、この五年間の日本に於いて八十七パアセント大丈夫であって、しかもそのうえ、ほとんど無苦痛なそうではないか。いちどは薬品で失敗した。いちどは入水《じゅすい》して失敗した。日本のスタヴロギン君には、縊死という手段を選出するのに、永いこと部屋をぐるぐる歩きまわってあれこれと思い煩《わずら》う必要がなかったのである。宿屋へ泊って、からだを洗い、宿の、ま新らしい浴衣《ゆかた》を着て、きれいに死にたく思っ
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