て飛び込んだ。

     四

 気がつくとあたりは薄暗いのだ。滝の轟《とどろ》きが幽《かす》かに感じられた。ずっと頭の上でそれを感じたのである。からだがその響きにつれてゆらゆら動いて、みうちが骨まで冷たかった。
 ははあ水の底だな、とわかると、やたらむしょうにすっきりした。さっぱりした。
 ふと、両脚をのばしたら、すすと前へ音もなく進んだ。鼻がしらがあやうく岸の岩角へぶっつかろうとした。
 大蛇!
 大蛇になってしまったのだと思った。うれしいな、もう小屋へ帰れないのだ、とひとりごとを言って口ひげを大きくうごかした。
 小さな鮒《ふな》であったのである。ただ口をぱくぱくとやって鼻さきの疣《いぼ》をうごめかしただけのことであったのに。
 鮒は滝壺のちかくの淵をあちこちと泳ぎまわった。胸鰭《むなびれ》をぴらぴらさせて水面へ浮んで来たかと思うと、つと尾鰭をつよく振って底深くもぐりこんだ。
 水のなかの小えびを追っかけたり、岸辺の葦《あし》のしげみに隠れて見たり、岩角の苔をすすったりして遊んでいた。
 それから鮒はじっとうごかなくなった。時折、胸鰭をこまかくそよがせるだけである。なにか考えているらしかった。しばらくそうしていた。
 やがてからだをくねらせながらまっすぐに滝壺へむかって行った。たちまち、くるくると木の葉のように吸いこまれた。



底本:「晩年」新潮文庫、新潮社
   1947(昭和22)年12月10日初版1刷
   1985(昭和60)年10月5日70刷改版
   1987(昭和62)年11月25日75刷
初出:「海豹」1933(昭和8)年3月
※校正には1990(平成2)年5月20日81刷を使用しました。
入力:中嶋壮一
校正:鈴木厚司
2003年4月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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