サロンの空気がたいへんパッショネエトにされてしまって、いつしか、私のひめにひめたるお湯にも溶けぬ雪女について問われるがままに語って聞かせて居たのである。
 ――年齢。
 ――十九です。やくどしです。女、このとしには必ず何かあるようです。不思議のことに思われます。
 ――小柄だね?
 ――ええ、でもマネキン嬢にもなれるのです。
 ――というと?
 ――全部が一まわり小さいので、写真ひきのばせば、ほとんど完璧《かんぺき》の調和を表現し得るでしょう。両脚がしなやかに伸びて草花の茎のようで、皮膚が、ほどよく冷い。
 ――どうかね。
 ――誇張じゃないんです。私、あのひとに関しては、どうしても嘘をつけない。
 ――あんまり、ひどくだましたからだ。
 ――おどろいたな。けれども、全く、そうなんです。私、二十一歳の冬に角帯《かくおび》しめて銀座へ遊びにいって、その晩、女が私の部屋までついて来て、あなたの名まえなんていうの? と聞くから、ちょうど、そこに海野三千雄、ね、あの人の創作集がころがっていて、私は、海野三千雄、と答えてしまった。女は、私を三十一、二歳と思っているらしく、もすこし有名の人かと思った、とほっと肩を落して溜息をついて、私は、あのときぐらい有名になりたく思ったことございませぬ。のどが、からから枯渇《こかつ》して、くろい煙をあげて焼けるほどに有名を欲しました。海野三千雄といえば、ひところ文壇でいちばん若くて、いい小説もかいていました。その夜から、私、学生服を着ている時のほかには、どこへ行っても、海野三千雄で、押しとおさなければならなくなった。いちど、にせものをつとめると、不安で不安で夜のめも眠れず、それでいて、そのにせもの勤めをよそうとはせず、かえって完璧の一点のすきのないにせものになろうと、そのほうにだけ心をくだくものです。不思議なものです。
 ――面白いね。つづけたまえ。
 ――たった一度きりの女なら、海野三千雄もよろしゅうございましょうが、二度、三度|逢《あ》っているうちに、窮屈になって、ひとりで悶悶転転いたしました。女は、その後、新聞の学芸欄などに眼をとおす様子で、きょう、あなたの写真が出ていた。ちっとも似ていない。どうして、あんなに顔をしかめるの? 私、お友達に笑われちゃった。
 ――君は、むかし、なにか政治運動していたとか、そのころのことかね?
 ――は、そうです。私、文化運動は性に合わず、殊《こと》にもプロレタリヤ小説ほど、おめでたいものはないと思っていましたから、学生とは、離れて、穴蔵の仕事ばかりをしていました。いつか、私の高等学校時代からの友人が、おっかなびっくり、或る会合の末席に列していて、いまにこの辺、全部の地区のキャップが来るぞと、まえぶれがあって、その会合に出ているアルバイタアたちでさえ、少し興奮して、ざわめきわたって、或る小地区の代表者として出席していた私のその友人は、もう夢みるような心地《ここち》で、やがて時間に一秒の狂いもなく、みしみし階段の足音が聞えて、やあ、といいながらはいって来たひょろ長い男の顔が、はじめは、まぶしくて、はっきり見えなかったが、よく見ると、その金ぶち眼鏡のにやけた男が、まごうかたなき、私、ええ、この私だったので、かれ、あのときのうれしさは忘《ぼう》じがたいと、いまでもよく申しています。天にも昇るうれしさだったそうです。もちろんそのときには、ちらと瞳で笑い合ったきりで、お互い知らんふりをしていました。あんな運動をして、毎日追われてくらしていて、ふと、こちらの陣営に、思いがけない旧友の顔を見つけたときほど、うれしいことがございませぬ。
 ――よく、つかまらなかったね。
 ――ばかだから、つかまるのです。また、つかまっても、一週間やそこらで助かる手もあるのです。そのうちに私、スパイだと言われたり何かして、いやになって、仲間から、逃げることだけ考えていました。そのころは、毎夜、帝国ホテルにとまっていました。やはり作家、海野三千雄の名前で。名刺《めいし》もつくらせ、それからホテルの海野先生へ、ゲンコウタノムの電報、速達、電話、すべて私自身で発して居りました。
 ――不愉快なことをしたものだね。
 ――厳粛なるべき生活を、茶化して、もてあそびものにしているのが、不愉快なのでしょう。ごもっともでございますが、当時、そんなことでもしなければ、私、おそらくは三十種類以上の原因で、自殺してしまっています。
 ――でも、そのときだって、やっぱり、情死おこなったんだろう。
 ――ええ、女が帝国ホテルへ遊びに来て、僕がボオイに五円やって、その晩、女は私の部屋へ宿泊しました。そうして、その夜ふけに、私は、死ぬるよりほかに行くところがない、と何かの拍子に、ふと口から滑り出て、その一言が、とても女の心にきいたらしく、あたしも死ぬる、と申しました。
 ――それじゃあ、あなたと呼べば死のうよと答える、そんなところだ。極端にわかりが早くなってしまっている。君たちだけじゃないようだぜ。
 ――そうらしいのです。私の解放運動など、先覚者として一身の名誉のためのものと言って言えないこともなく、そのほうで、どんどん出世しているうちは、面白く、張り合いもございましたが、スパイ説など出て来たんでは、遠からず失脚ですし、とにかく、いやでした。
 ――女は、その後、どうなったね?
 ――女は、その帝国ホテルのあくる日に死にました。
 ――あ、そうか。
 ――そうなんです。鎌倉の海に薬品を呑んで飛びこみました。言い忘れましたが、この女は、なかなかの知識人で、似顔絵がたいへん巧《うま》かった。心が高潔だったので、実物よりも何層倍となく美しい顔を画き、しかもその画には秋風のような断腸《だんちょう》のわびしさがにじみ出て居りました。画はたいへん実物の特徴をとらえていて、しかもノオブルなのです。どうも、ことしの正月あたりから、こう、泣癖がついてしまって、困って居ります。先日も、佐渡情話とか言う浪花節《なにわぶし》のキネマを見て、どうしてもがまんができず、とうとう大声をはなって泣きだして、そのあくる朝、厠《かわや》で、そのキネマの新聞広告を見ていたら、また嗚咽《おえつ》が出て来て、家人に怪しまれ、はては大笑いになって、もはや二度と、キネマへ連れて行けぬという家人の意見でございました。もう、いいのです。つづきを申しましょう。十年まえの話です。なぜ、あのとき、私が鎌倉をえらんだのか、長いこと私の疑問でございましたが、きのう、ほんの、きのう、やっと思い当りました。私、小学生のころ、学芸大会に、鎌倉名所の朗読したことがございまして、その折、練習に練習を重ねて、ほとんど諳誦できるくらいになってしまいました。七里ヶ浜の磯《いそ》づたい、という、あの文章です。きっと子供ながら、その風景にあこがれ、それがしみついて離れず、潜在意識として残っていて、それが、その鎌倉行になってあらわれたのではなかろうかと考え、わが身を、いじらしく存じました。鎌倉に下車してから私は、女にお金を財布《さいふ》ぐるみ渡してしまいましたが、女は、私の豪華な三徳《さんとく》の中を覗《のぞ》いて、あら、たった一枚? と小声で呟《つぶや》き、私は身を切られるほど恥かしく思ったのを忘れずに居る。私は、少しめちゃめちゃになって、おれはほんとうは二十六歳だ、とそれでも、まだ五歳も多く告白してみせましたが、女は、たった二十六? といって黒めがちの眼をくるっと大きく開いて、それから指折りかぞえ、たいへん、たいへん、と笑いながら言って、首をちぢめて見せましたが、なんの意味だったのかしら、いまさら尋ねる便りもございませんが、たいへん気にかかります。
 ――あかるいうちに飛び込んだのかね?
 ――いいえ。それでも名所をあるきまわって、はちまん様のまえで、飴《あめ》を買って食べましたが、私、そのとき右の奥歯の金冠二本をだめにしてしまって、いまでもそのままにして放って置いてあるのですが、時々、しくしくいたみます。
 ――ふっと思い出したが、ヴェルレエヌ、ね、あの人、一日、教会へ韋駄天走《いだてんばし》りに走っていって、さあ私は、ざんげする、告白する、何もかも白状する、ざんげ聴聞僧《ちょうもんそう》は、どこに居られる、さあ、さあ私は言ってしまう、とたいへんな意気込で、ざんげをはじめたそうですが、聴聞僧は、清浄の眉をそよとも動《そよ》がすことなく、窓のそとの噴水を見ていて、ヴェルレエヌの泣きわめきつつ語りつづけるめんめんの犯罪史の、一瞬の切れ目に、すぽんと投入した言葉は、『あなたはけものと交った経験をお持ちですか?』ヴェル氏、仰天して、ころげるようにして廊下へ飛び出し、命からがら逃げかえったそうで、僕は、どうも、人のざんげを聞くことが得手《えて》じゃないのです。いまはやりの言葉で言えば心臓が弱いのです。かの勇猛果敢なざんげ聴聞僧の爪のあかでも、せんじて呑みたいほうで、ね。
 ――ざんげじゃない。のろけじゃない。救いを求めているのでもない。私は、女の美しさを主張しているのです。それだけの事です。こうなって来ると、お仕舞いまで申しあげます。女は、歩きながら、ずいぶん思いつめたような口調で、かえらない? と小声で言った。あたしは、あなたのおめかけになります。家から一歩も外へ出るな、とあれば、じっとして、うちに隠れて居ります。一生涯、日かげ者でもいいの。私は、鼻で笑った。人の誠実を到底理解できず、おのれの自尊心を満足させるためには、万骨を枯らして、尚、平然たる姿の二十一歳、自矜《じきょう》の怪物、骨のずいからの虚栄の子、女のひとの久遠の宝石、真珠の塔、二つなく尊い贈りものを、ろくろく見もせず、ぽんと路のかたわらのどぶに投げ捨て、いまの私のかたちは、果して軽快そのものであったろうか、などそんなことだけを気にしている。
 ――はははは。今夜はなかなか能弁だね。
 ――笑いごとではないのです。そのような奇妙な、『ヴァイオリンよりは、ケエスが大事式』の、その方面に於ける最もきびしい反省をしてみるのでした。江の島の橋のたもとに、新宿へ三十分、渋谷へ三十八分と、一字一字二尺平方くらいの大きさで書かれて居る私設電車の絵看板、ちらと見て、さっさと橋をわたりはじめた。からころと駒下駄《こまげた》の音が私を追いかけ、私のすぐ背後まで来てから、ゆっくりあるいて、あたし、きめてしまいました。もう、大丈夫よ、先刻までの私は、軽蔑されてもしかたがないんだ。
 ――非常に素直な人なんだね。
 ――そうです、そうです。判って呉れましたね? やっぱり、お話し申しあげてよかった。もっと、もっと聞いて下さい。
 ――よし。ぜひとも、聞かせて下さい。竹や、お茶。
 ――飛びこむよりさきにまず薬を呑んだのです。私が呑んで、それから私が微笑《ほほえ》みながら、姫や、敵のひげむじゃに抱かれるよりは、父と一緒に死にたまえ。少しも早う、この毒を呑んで死んでお呉れ。そんなたわむれの言葉を交《かわ》しながら、ゆとりある態度で呑みおわって、それから、大きいひらたい岩にふたりならんで腰かけて、両脚をぶらぶらうごかしながら、静かに薬のきく時を待って居ました。私はいま、徹頭徹尾、死なねばならぬ。きのう、きょう、二日あそんで、それがため、すでに、かの穴蔵の仕事の十指にあまる連絡の線を切断。組織は、ふたたび収拾し能《あた》わぬほどの大混乱、火事よりも雷よりも、くらべものにならぬほどの一種|凄烈《せいれつ》のごったがえし。それらの光景は、私にとって、手にのせて見るよりも確実であった。キャップの裏切。逃走。そのうえに、海野三千雄のにせ者の一件が大手をひろげて立っていた。女に告白できるくらいなら、それができるたちの男であったなら二十一歳、すでにこれほど傷だらけにならずにすんで居たにちがいない。やがて女は、帯をほどいて、このけしの花模様の帯は、あたしのフレンドからの借りものゆえ、ここへこうかけて置こうと、よどみなく告白しながら、その帯をきちんと畳んで、背後の樹木に垂れかけ、私
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