み》、一粒の南京豆《ナンキンまめ》をぽんと口の中にほうり込む。かなしい男なのです。そのとき、出て来たものは、この同封の切り抜きです。何か、お役に立ち得るような気がいたします。私は、白髪の貴方《あなた》を見てから死にたい。ことしの秋、私はあなたの小説をよみました。へんな話ですけれども、私は、友人のところであの小説を読んで、それから酒を呑んで、そのうちに、おう、おう、大声を放って泣いて、途中も大声で泣きながら家へかえって、ふとんを頭からかぶって寝て、ぐっすりと眠りました。朝起きたときには、全部忘却して居りましたが、今夜、この切り抜きがまた貴方を思い出させました。理由は、私にも、よく呑みこめませぬが、とにかくお送り申します。――『慢性モヒ中毒。無苦痛根本療法、発明完成。主効、慢性|阿片《あへん》、モルヒネ、パビナール、パントポン、ナルコポン、スコポラミン、コカイン、ヘロイン、パンオピン、アダリン等中毒。白石国太郎先生創製、ネオ・ボンタージン。文献無代贈呈。』――『寄席《よせ》芝居の背景は、約十枚でこと足ります。野面《のづら》。塀外。海岸。川端。山中。宮前。貧家。座敷。洋館なぞで、これがどの狂言にでも使われます。だから床の間の掛物は年が年中朝日と鶴。警察、病院、事務所、応接室なぞは洋館の背景一つで間に合いますし、また、云々。』――『チャプリン氏を総裁に創立された馬鹿笑いクラブ。左記の三十種の事物について語れば、即時除名のこと。四十歳。五十歳。六十歳。白髪。老妻。借銭。仕事。子息令嬢の思想。満洲国。その他。』――あとの二つは、講談社の本の広告です。近日、短篇集お出しの由、この広告文を盗みなさい。お読み下さい。ね。うまいもんでしょう?(何を言ってやがる。はじめから何も聞いてやしない。)私に油断してはいけません。私は貴方の右足の小指の、黒い片端爪《かたはづめ》さえ知っているのですよ。この五葉の切りぬきを、貴方は、こっそり赤い文箱に仕舞い込みました。どうです。いやいや、無理して破ってはいけません。私を知っていますか? 知る筈《はず》は、ない。私は二十九歳の医者です。ネオ・ボンタージンの発明者、しかも永遠の文学青年、白石国太郎先生でありますぞ。(われながら、ちっともおかしくない。笑わせるのは、むずかしいものですね。)白石国太郎は冗談ですが、いつでもおいで下さい。私は、ばかのように見えながら、実社会においては、なかなかのやり手なんだそうです。お手紙くだされば、私の力で出来る範囲内でベストをつくします。貴方は、もっともっと才能を誇ってよろし。芝区赤羽町一番地、白石生。太宰治大先生。或る種の実感を以《も》って、『大先生』と一点不自然でなく、お呼びできます。大先生とは、むかしは、ばかの異名だったそうですが、いまは、そんなことがない様で、何よりと愚考いたします。」
「治兄。兄の評判大いによろしい。そこで何か随筆を書くよう学芸のものに頼んだところ大乗気で却《かえ》って向うから是非書かしてくれということだ。新人の立場から、といったようなものがいい由。七、八枚。二日か三日にわけて掲載。アプトデートのテエマで書いてくれ。期日は、明後日正午まで。稿料一枚、二円五十銭。よきもの書け。ちかいうちに遊びに行く。材料あげるから、政治小説かいてみないか。君には、まだ無理かな? 東京日日新聞社政治部、小泉邦録。」
「謹啓。一面識ナキ小生ヨリノ失礼ナル手紙御読了|被下度《くだされたく》候《そうろう》。小生、日本人ノウチデ、宗教家トシテハ内村鑑三氏、芸術家トシテハ岡倉天心氏、教育家トシテハ井上哲次郎氏、以上三氏ノ他ノ文章ハ、文章ニ似テ文章ニアラザルモノトシテ、モッパラ洋書ニ親シミツツアルモ、最近、貴殿ノ文章発見シ、世界ニ類ナキ銀鱗《ぎんりん》躍動、マコトニ間一髪、アヤウク、ハカナキ、高尚ノ美ヲ蔵シ居ルコト観破|仕《つかまつ》リ、以来貴作ヲ愛読シ居ル者ニテ、最近、貴殿著作集『晩年』トヤラム出版ノオモムキ聞キ及ビ候ガ御面倒ナガラ発行所ト如何《いか》ナル御作、集録致サレ候ヤ、マタ、貴殿ノ諸作ニ対スル御自身ノ感懐ヲモ御モラシ被下度伏シテ願上候。御返信ネガイタク、参銭切手、二枚。葉書、一枚。同封仕リ候。封書、葉書、御意ノ召スガママニ御染筆ネガイ上候。ナオマタ、切手、モシクハ葉書、御不用ノ際ハソノママ御返送ノホドオ願イ申上候。太宰治殿。清瀬次春。二伸。当地ハ成田山新勝寺オヨビ三里塚ノ近クニ候エバ当地ニ御光来ノ節ハ御案内仕ル可ク候。」
月日。
「俺たち友人にだけでも、けちなポオズをよしたら、なにか、損をするのかね。ちょっと、日本中に類のない愚劣|頑迷《がんめい》の御手簡、ただいま覗《のぞ》いてみました。太宰! なんだ。『許す。』とは、なんだ。馬鹿! ふん、と鼻で笑って両手にまるめて窓から投げたら、桐《きり》の枝に引かかったっけ。俺は、君よりも優越している人間だし、君は君もいうように『ひかれ者の小唄』で生きているのだし、僕はもっと正しい欲求で生きている。君の文学とかいうものが、どんなに巧妙なものだか知らないが、タカが知れているではないか。君の文学は、猿面冠者のお道化に過ぎんではないか。僕は、いつも思っていることだ。君は、せいぜい一人の貴族に過ぎない。けれども、僕は王者を自ら意識しているのだ。僕は自分より位の低いものから、訳のわからない手紙を貰ったくらいにしか感じなかった。僕は自分の感情を偽《いつわ》って書いてはいない。よく読んで見給え。僕の位は天位なのだ。君のは人爵《じんしゃく》に過ぎぬ。許す、なんて芝居の台詞《せりふ》がかった言葉は、君みたいの人は、僕に向って使えないのだよ。君は、君の身のほどについて、話にならんほどの誤算をしている。ただ、君は年齢も若いのだし、まだ解らぬことが沢山あるのだし、僕にもそういう時代があったのだから黙っていただけの話だ。君のこのたびの手紙の文章については、いろいろ解釈してみたが、『こんどだけ』という君の誇張された思い上りは許し難い。きっぱりと黙殺することに腹を決めたのだが、恰度《ちょうど》今日仕事の机にむかって坐った時、ふと、返事でも書いてみるかという気になってこれを書いた。じたい、二十歳台の若者と酒汲みかわすなんて厭なものだと思っていたのだ。君は二十九歳十カ月くらいのところだね。芸者ひとり招《よ》べない。碁ひとつ打てん。つけられた槍《やり》だ。いつでもお相手するが、しかし、君は、佐藤春夫ほどのこともない。僕は、あの男のためには春夫論を書いた。けれども、君に対しては、常に僕の姿を出して語らなければ場面にならないのだ。君は、長沢伝六と同じように――むろん、あれほどひどくはないが、けれども、やっぱり僕の価値を知らない。君は、僕の『つぼ』をうったことは曾《か》つてないのだ。倉田百三か、山本有三かね。『宗教』といわれて、その程度のことしか思い浮ばんのかね。僕は、君のダス・ゲマイネを見たと思ったよ。けれども別に僕は怒りもしなかった。すると、なんだい、『ゆるす』っていうのは。僕は、君が『許して呉れ。』というのをそう表現したのかとさえ思ったほどである。それから、ずっと後でなにか道を歩いていた時、ははあと漸《ようや》く多少思ったこともある。けれども、それは僕が次第にほんとの姿を現わし始めたことに過ぎないのだ。あの夜は、この温情家たる僕に、ひとつの明確な酷点を教示した。君のゆるせなかったもの、それは僕の酷点のひとつに相違ない。『われ、太陽の如く生きん。』僕の足もとに膝《ひざ》まずいて、君が許せないと感じたものを白状して御覧。君は、そういう場合、まるで非芸術のように頑固《がんこ》で、理由なしに、ただ、左を右と言ったものだが、温良に正直にすべてを語って御覧。誰も聞いていないのだよ。一生に最初の一度。嘘でも、また、ひかれ者の小唄でもないもの。まともなことを正直に僕に訴えて見給え。君は、なにか錯覚に墜《お》ちている。僕を、太陽のように利用し給え。この手紙を正当に最後のものにするかも知れぬ。僕は頑固者は嫌いである。それは黙殺にしか値しない。それは田舎者《いなかもの》だ。『君は何を許し難かったのか。』恥かしがらずに僕に話して見給え。はじらいを。君は、僕に惚《ほ》れているのだ。どうかね。ゆるすなんて、美しい寡婦《かふ》のようなことを言いなさんな。僕は、君が僕に献身的に奉仕しなければもう船橋の大本教に行かぬつもりだ。僕たち、二三の友人、つね日頃、どんなに君につくして居るか。どれだけこらえてゆずってやって居るか。どれだけ苦しいお金を使って居るか。きょうの君には、それら実相を知らせてあげたい。知ったとたんに、君は、裏の線路に飛び込むだろう。さなくば僕の泥足に涙ながして接吻《せっぷん》する。君にして、なおも一片の誠実を具有していたなら! 吉田潔。」
中旬
月日。
「拝呈。過刻は失礼。『道化の華《はな》』早速一読|甚《はなは》だおもしろく存じ候《そうろう》。無論及第点をつけ申し候。『なにひとつ真実を言わぬ。けれども、しばらく聞いているうちには思わぬ拾いものをすることがある。彼等の気取った言葉のなかに、ときどきびっくりするほど素直なひびきの感ぜられることがある。』という篇中のキイノートをなす一節がそのままうつして以《もっ》てこの一篇の評語とすることが出来ると思います。ほのかにもあわれなる真実の蛍光を発するを喜びます。恐らく真実というものは、こういう風にしか語れないものでしょうからね。病床の作者の自愛を祈るあまり慵斎《ようさい》主人、特に一書を呈す。何とぞおとりつぎ下さい。十日深夜、否、十一日朝、午前二時頃なるべし。深沼太郎。吉田潔様|硯北《けんぽく》。」
「どうだい。これなら信用するだろう。いま大わらわでお礼状を書いている始末だ。太陽の裏には月ありで、君からもお礼状を出して置いて下さい。吉田潔。幸福な病人へ。」
「謹啓。御多忙中を大変恐縮に存じますが、本紙新年号文芸面のために左の玉稿たまわりたく、よろしくお願いいたします。一、先輩への手紙。二、三枚半。三、一枚二円余。四、今月十五日。なお御面倒でしょうが、同封のハガキで御都合折り返しお知らせ下さいますようお願いいたします。東京市|麹《こうじ》町区内幸町武蔵野新聞社文芸部、長沢伝六。太宰治様侍史。」
月日。
「おハガキありがとう。元旦号には是非お願いいたします。おひまがありましたら十枚以上を書いていただきたい。(一行あき。)小泉君と先般|逢《あ》ったが、相変らず元気、あの男の野性的親愛は、実に暖くて良い。あの男をもっと偉くしたい。(一行あき。)私は明日からしばらく西津軽、北津軽両郡の凶作地を歩きます。今年の青森県農村のさまは全く悲惨そのもの。とても、まともには見られない生活が行列をなし、群落をなして存在している。(一行あき。)貴兄のお兄上は、県会の花。昨今ますます青森県の重要人物らしい貫禄《かんろく》を具《そな》えて来ました。なかなか立派です。人の応待など出来て来ました。あのまま伸びたら、良い人物になり社会的の働きに於いても、すぐれたる力量を示すのも遠い将来ではございますまい。二十五歳で町長、重役頭取。二十九歳で県会議員。男ぶりといい、頭脳といい、それに大へんの勉強家。愚弟太宰治氏、なかなか、つらかろと御推察申しあげます。ほんとに。三日深夜。粉雪さらさら。北奥新報社整理部、辻田吉太郎。アザミの花をお好きな太宰君。」
「太宰先生。一大事。きょう学校からのかえりみち、本屋へ立ち寄り、一時間くらい立読していたが、心細いことになっているのだよ。講談|倶楽部《クラブ》の新年附録、全国長者番附を見たが、僕の家も、君の家も、きれいに姿を消して居る。いやだね。君の家が、百五十万、僕のが百十万。去年までは確かにその辺だった。毎年、僕は、あれを覗《のぞ》いて、親爺が金ない金ない、と言っても安心していたのだが、こんどだけは、本当らしいぞ。対策を考究しようじゃないか。こまった。こまった。清水忠治。太宰先生、か。」
月日。
「冠省。へんな話で
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