いて一言御書き下さる訳には参りませんかしら。十二月号を今|編輯《へんしゅう》していますので、一両日中に頂けますと何よりです。どうか御聞きとどけ下さいますよう御願い申します。十一月二十九日。栗飯原梧郎。太宰治様。ヒミツ絶対に厳守いたします。本名で御書き下さらば尚うれしく存じます。」
「拝復。めくら草子の校正たしかにいただきました。御配慮恐入ります。只今校了をひかえ、何かといそがしくしております。いずれ。匆々《そうそう》。相馬閏二。」
月日。
「近頃、君は、妙に威張るようになったな。恥かしいと思えよ。(一行あき。)いまさら他の連中なんかと比較しなさんな。お池の岩の上の亀の首みたいなところがあるぞ。(一行あき。)稿料はいったら知らせてくれ。どうやら、君より、俺《おれ》の方が楽しみにしているようだ。(一行あき。)たかだか短篇二つや三つの註文で、もう、天下の太宰治じゃあちょいと心細いね。君は有名でない人間の嬉《うれ》しさを味わないで済んでしまったんだね。吉田潔。太宰治へ。ダヌンチオは十三年間黙って湖畔で暮していた。美しいことだね。」
「何かの本で、君のことを批評した言葉のなかに、傲慢《ごうまん》の芸術云々という個所があった。評者は君の芸術が、それを失《な》くした時、一層面白い云々、と述べていた。ぼくは、この意見に反対だ。ぼくには、太宰治が泣き虫に見えてならぬ。ぼくが太宰治を愛する所以でもあります。暴言ならば多謝。この泣き虫は、しかし、岩のようだ。飛沫《ひまつ》を浴びて、歯を食いしばっている――。ずいぶん、逢わないな。―― He is not what he was. か。世田谷、林彪太郎。太宰治様。」
月日。
「貴兄の短篇集のほうは、年内に、少しでも、校正刷お目にかけることができるだろうと存じます。貴兄の御厚意身に沁《し》みて感佩《かんぱい》しています。或《ある》いは御厚意裏切ること無いかと案じています。では、取急ぎ要用のみ。前略、後略のまま。大森書房内、高折茂。太宰学兄。」
「僕はこの頃|緑雨《りょくう》の本をよんでいます。この間うちは文部省出版の明治天皇御集をよんでいました。僕は日本民族の中で一ばん血統の純粋な作品を一度よみたく存じとりあえず歴代の皇室の方々の作品をよみました。その結果、明治以降の大学の俗学たちの日本芸術の血統上の意見の悉皆《しっかい》を否定すべき見解にたどりつきつつあります。君はいつも筆の先を尖《と》がらせてものかくでしょう。僕は君に初めて送る手紙のために筆の先をハサミで切りました。もちろんこのハサミは検閲官のハサミでありません。その上、君はダス・マンということを知っているでしょう。デル・マンではありません。だから僕は君の作品に於《おい》て作品からマンの加減乗除を考えません。自信を持つということは空中|楼閣《ろうかく》を築く如く愉快ではありませんか。ただそのために君は筆の先をとぎ僕はハサミを使い、そのときいささかの滞《とどこお》りもなく、僕も人を理解したと称します。法隆寺の塔を築いた大工はかこいをとり払う日まで建立《こんりゅう》の可能性を確信できなかったそうです。それでいてこれは凡《およ》そ自信とは無関係と考えます。のみならず、彼は建立が完成されても、囲をとり払うとともに塔が倒れても、やはり発狂したそうです。こういう芸術体験上の人工の極致を知っているのは、おそらく君でしょう。それゆえ、あなたは表情さえ表現しようとする、当節誇るべき唯一のことと愚按《ぐあん》いたします。あなたが御病気にもかかわらず酒をのみ煙草を吸っていると聞きました。それであなたは朝や夕べに手洗をつかうことも誇るがいいでしょう。そういう精神が涵養《かんよう》されなかったために未だに日本新文学が傑作を生んでいない。あなたはもっと誇りを高く高くするがいい。永野喜美代。太宰治君。」
「わずかな興《きょう》を覚えた時にも、彼はそれを確める為《ため》に大声を発して笑ってみた。ささやかな思い出に一滴の涙が眼がしらに浮ぶときにも、彼はここぞと鏡の前に飛んでゆき、自らの悲歎に暮れたる侘《わび》しき姿を、ほれぼれと眺めた。取るに足らぬ女性の嫉妬《しっと》から、些《いささ》かの掠《かす》り傷を受けても、彼は怨《うら》みの刃《やいば》を受けたように得意になり、たかだか二万|法《フラン》の借金にも、彼は、(百万法の負債に苛責《さいな》まれる天才の運命は悲惨なる哉《かな》。)などと傲語《ごうご》してみる。彼は偉大なのらくら者、悒鬱《ゆううつ》な野心家、華美な薄倖児《はっこうじ》である。彼を絶えず照した怠惰の青い太陽は、天が彼に賦与《ふよ》した才能の半ばを蒸発させ、蚕食《さんしょく》した。巴里《パリ》、若《も》しくは日本高円寺の恐るべき生活の中に往々見出し得るこの種の『
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