ん》、尚原稿書き直して戴《いただ》ければ、二十五日までで結構だ。それから写真を一枚、同封して下さい。いろいろ面倒な御願いで恐縮だが、なにとぞよろしく。乱筆乱文多謝。」
「ちかごろ、毎夜の如く、太宰兄についての、薄気味わるい夢ばかり見る。変りは、あるまいな。誓います。誰にも言いません。苦しいことがあるのじゃないか。事を行うまえに、たのむ、僕にちょっと耳打ちして呉《く》れ。一緒に旅に出よう。上海《シャンハイ》でも、南洋でも、君の好きなところへ行こう。君の好いている土地なら、津軽だけはごめんだけれど、あとは世界中いずこの果にても、やがて僕もその土地を好きに思うようになります。これぼっちも疑いなし。旅費くらいは、私かせぎます。ひとり旅をしたいなら、私はお供いたしませぬ。君、なにも、していないだろうね? 大丈夫だろうね? さあ、私に明朗の御返事下さい。黒田重治。太宰治学兄。」
「貴翰《きかん》拝誦。病気|恢復《かいふく》のおもむきにてなによりのことと思います。土佐から帰って以来、仕事に追われ、見舞にも行けないが、病気がよくなればそれでいいと思っている。今日は十五日締切の小説で大童《おおわらわ》になっているところ。新ロマン派の君の小説が深沼氏の推讃《すいさん》するところとなって、君が発奮する気になったとは二重のよろこびである。自信さえあれば、万事はそれでうまく行く。文壇も社会も、みんな自信だけの問題だと、小生痛感している。その自信を持たしてくれるのは、自分の仕事の出来栄《できば》えである。循環する理論である。だから自信のあるものが勝ちである。拙宅の赤んぼさんは、大介という名前の由。小生旅行中に女房が勝手につけた名前で、小生の気に入らない名前である。しかし、最早《もは》や御近所へ披露《ひろう》してしまった後だから泣寝入りである。後略のまま頓首《とんしゅ》。大事にしたまえ。萱野君、旅行から帰って来た由。早川俊二。津島君。」

 月日。
「返事よこしてはいけないと言われて返事を書く。一、長篇のこと。云われるまでもなく早まった気がして居る。屑物屋《くずものや》へはらうつもりで承知してしまったのだが、これはしばらく取消しにしよう。この手紙といっしょに延期するむね葉書かいた。どうせ来年の予定だったから、来年までには、僕も何とかなるつもりでいた――が、それまでに一人前になれるかどうか、疑問に思われて来た。『新作家』へは、今度書いた百枚ほどのもの連載しようと思っている。あの雑誌はいつまでも、僕を無名作家にしたがっている。『月夜の華』というのだ。下手《へた》くそにいっていたとしても、むしろ、この方を宣伝して呉れ。提灯《ちょうちん》をもつことなんて一番やさしいことなんだから。二、僕と君との交友が、とかく、色眼鏡でみられるのは仕方がないのではないかな。中畑というのにも僕は一度あってるきりだし、世間さまに云わせたら、僕が君をなんとかしてケチをつけたい破目《はめ》に居そうにみえるのではないかしら。僕だけの耳へでも、僕が君をいやみに言いふらして居るらしい噂が聞えてくる。そして人からいろいろ忠告されたりする。構わんじゃろ。君と僕が対立的にみられるのは僕にはかえって面白いくらいだ。たとえばポオとレニンが比較されて、ポオがレニンに策士だといって蔭口《かげぐち》をきいたといった風なゴシップは愉快だからな。何よりも僕の考えていることは、友人面をしてのさばりたくないことだ。君の手紙のうれしかったのは、そんな秘《かく》れた愛情の支持者があの中にいたことだ。君が神なら僕も神だ。君が葦《あし》なら――僕も葦だ。三、それから、君の手紙はいくぶんセンチではなかったか。というのは、よみながら、僕は涙が出るところだったからだ。それを僕のセンチに帰するのは好くない。ぼくは、恋文を貰った小娘のように顔をあからめていた。四、これが君の手紙への返事だったら破いて呉れ。僕としては依頼文のつもりだった。たった一つ、僕のこんどの小説を宣伝して呉れということ。五、昨日、不愉快な客が来て、太宰治は巧くやったねと云った。僕は不愛想に答えた。『彼は僕たちが出したのです』――今日つくづく考えなおしている。こんなのがデマの根になるのではないか――と。『ええ』といっておけば好いのかもしれない。それともまた『彼は立派な作家です』と言えばいいのか。ぼくはいままでほど自由な気持で君のことを饒舌《しゃべ》れなくなったのを哀しむ。君も僕も差支《さしつか》えないとしても、聞く奴が駑馬《どば》なら君と僕の名に関る。太宰治は、一寸《ちょっと》、偉くなりすぎたからいかんのだ。これじゃ、僕も肩を並べに行かなくては。漕ぎ着こう。六、長沢の小説よんだか。『神秘文学』のやつ。あんな安直な友情のみせびらかしは、僕は御免だ。正直なのかもしれないが、
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