でも、出来事の必然的な継続でもなく、裸形にされた純粋の偶然というものなのである。此《こ》の喜劇を読んでゆくと、秩序も構図もなく寄せ集められた「雑多な事実」に満ちている新聞にでも眼を通してゆくような印象を受ける。ここに支配しているものは偶然であり、偶然があらゆる一般的な概念に抗して戦っているのである。』これを写しながら、給仕君におとぎばなし、紫式部、清少納言、日本霊異記《にほんりょういき》とせがまれ、話しているうち、彼氏恐怖のあまり、歯をがつ、がつ、がつ、三度、音たてて鳴らしてふるえました。太宰さん。もう、ねましょう。にやにや薄笑いしていい加減の合槌《あいづち》をうつのは、やめて下さい。――なあんてね。きょうは会社に出勤、忘年会とか、いちいち社員から会費を集めている。酒盛り。ぼくは酒ぐせ悪いとの理由で、禁酒を命じられ、つまらないので、三時間位、白い壁の天井を眺めながら、皆の馬鹿話を聞いていました。それから御得意に挨拶に行き、会員、主任のうちに呼ばれて御馳走になり、カルタをとり、いま帰って、これを書いているのが夜十時です。気がつかれて、手紙を書くのがイヤです。簡単にあとかきます。会社を二月休んだ原因は、或る事から、酔の上、職人九人を相手にして、喧嘩《けんか》をし、ぼくは、十月二十九日、腕を剃刀《かみそり》でわられたのです。その傷が丹毒になり、二月入院しました。喧嘩しながら居眠るほど、酔っていた男を正気の相手が刃物で、而《しか》も多人数で切ったのですから、ぼくの運がわるく、而も丹毒で苦しみ、病院費の為、……おやじの残したいまは只一軒のうちを高利貸に抵当《ていとう》にして母は、兄と争い乍《なが》ら金を送ってくれました。会社は病気ではなく私傷による事故だからといって、十一月は給料をくれませんでした。また会社の人達は、ぼくをまるで無頼漢扱いにして皮肉をいう。まア止《や》めましょう。いっそ、桜の花の刺青《いれずみ》をしようかと思って居ります。私は子供じゃないんだ。所で、あなたに手紙を書きたかったのは、ぼくはもう文学を止めたいとおもう。それもなんら思想上のものではなしに、単に生活上の不便からです。京城《けいじょう》にいるとか会社員をしている事は、いままで、なんら、悪条件と感じませんでしたが、こんどの事件があってからは、急にイヤになったのです。今日でも会社にでると殆《ほと》んど、もう
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