だ歩調で階段を降りました。そしてそのとりみだし方も純粋でなかったようではずかしく、思いだしては、首をちぢめています。その夜、斎藤君はおもわせぶりであるとあなたにいわれたために心がうつろになり、さびしくなっていて、それだけですでにおろおろして居たのです。僕が帰ることになったとき、先に払った同人費を還《かえ》すからというとき、僕は心の中で、五円|儲《もう》かった、と叫んだのです。そして、何か云われたのに、二円五十銭ずつ二回に払ったのですが、と答えたときの自分自身の見えすいた狡《ずる》さのために、自らをひくくしたはずかしさと棄鉢《すてばち》をおぼえました。そればかりでなく、五円儲かったということばは、その二三日前によんだ貴作『逆行』の中にあることばがそのままにうかんだしろものに過ぎず、新宿駅のまえでぼんやりして居りました。あのはげしかった会合のことがらをはっきりと掴《つか》めもせずに、自分の去就《きょしゅう》についてどうしたら下手《へた》をやらずにすむかを考えていたようでした。駅のまえで、しばらく、白犬のようにうろうろして、このまま下宿へ帰ろうかと考えましたが、これきりあなた達と別れてしまうのかと思われてさびしくなりました。今すぐ会場へ引返してみたところで、(充分の考慮もせず、ただ、足手まといになるつもりか、)と叱られるくらいがおちであろうと、永いことさまよいました。人に甘え、世に甘え、自分にないものを、何かしらん、かくし持ってあるが如くに見せかける、その思わせぶりを、人もあろうに、あなたに指さされ、かなしかった。ああ、めそめそしたことを書いて御免下さい。私は、その夜の五円を、極めて有効に、一点濁らず、使用いたしました。生涯の記念として、いまなお、その折のメモを失くさず、『青い鞭』のペエジの間にはさんで蔵して在るのです。三銭切手十枚、三十銭。南京豆《ナンキンまめ》、十銭。チェリイ、十銭。みのり、十五銭。椿《つばき》の切枝二本、十五銭。眼医者、八十銭。ゲエテとクライスト、プロレゴーメナ、歌行燈《うたあんどん》、三冊、七十銭。鴨肉《かもにく》百目、七十銭。ねぎ、五銭。サッポロ黒ビイル一本、三十五銭。シトロン、十五銭。銭湯、五銭。六年ぶりで、ゆたかでした。使い切れず、ポケットには、まだ充分に。それから一年ちかく、二三度会った太宰治のおもかげを忘じがたく、こくめいに頭へ影をおとし
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