げたら、桐《きり》の枝に引かかったっけ。俺は、君よりも優越している人間だし、君は君もいうように『ひかれ者の小唄』で生きているのだし、僕はもっと正しい欲求で生きている。君の文学とかいうものが、どんなに巧妙なものだか知らないが、タカが知れているではないか。君の文学は、猿面冠者のお道化に過ぎんではないか。僕は、いつも思っていることだ。君は、せいぜい一人の貴族に過ぎない。けれども、僕は王者を自ら意識しているのだ。僕は自分より位の低いものから、訳のわからない手紙を貰ったくらいにしか感じなかった。僕は自分の感情を偽《いつわ》って書いてはいない。よく読んで見給え。僕の位は天位なのだ。君のは人爵《じんしゃく》に過ぎぬ。許す、なんて芝居の台詞《せりふ》がかった言葉は、君みたいの人は、僕に向って使えないのだよ。君は、君の身のほどについて、話にならんほどの誤算をしている。ただ、君は年齢も若いのだし、まだ解らぬことが沢山あるのだし、僕にもそういう時代があったのだから黙っていただけの話だ。君のこのたびの手紙の文章については、いろいろ解釈してみたが、『こんどだけ』という君の誇張された思い上りは許し難い。きっぱりと黙殺することに腹を決めたのだが、恰度《ちょうど》今日仕事の机にむかって坐った時、ふと、返事でも書いてみるかという気になってこれを書いた。じたい、二十歳台の若者と酒汲みかわすなんて厭なものだと思っていたのだ。君は二十九歳十カ月くらいのところだね。芸者ひとり招《よ》べない。碁ひとつ打てん。つけられた槍《やり》だ。いつでもお相手するが、しかし、君は、佐藤春夫ほどのこともない。僕は、あの男のためには春夫論を書いた。けれども、君に対しては、常に僕の姿を出して語らなければ場面にならないのだ。君は、長沢伝六と同じように――むろん、あれほどひどくはないが、けれども、やっぱり僕の価値を知らない。君は、僕の『つぼ』をうったことは曾《か》つてないのだ。倉田百三か、山本有三かね。『宗教』といわれて、その程度のことしか思い浮ばんのかね。僕は、君のダス・ゲマイネを見たと思ったよ。けれども別に僕は怒りもしなかった。すると、なんだい、『ゆるす』っていうのは。僕は、君が『許して呉れ。』というのをそう表現したのかとさえ思ったほどである。それから、ずっと後でなにか道を歩いていた時、ははあと漸《ようや》く多少思ったこともある
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