んからの御報告に依《よ》れば、お酒も、たばこも止したそうで、お察しいたします。そのかわり、バナナを一日に二十本ずつ、妻楊枝《つまようじ》、日に三十本は確実、尖端をしゅろの葉のごとくちぢに噛みくだいて、所かまわず吐きちらしてあるいて居られる由、また、さしたる用事もなきに、床より抜け出て、うろついてあるいて、電燈の笠《かさ》に頭をぶっつけ、三つもこわせし由、すべて承り、奥さんの一難去ってまた一難の御嘆息も、さこそと思いますが、太宰ひとりがわるいのじゃない。みんながよってたかって、もの笑いのたねにしてしまって、ぼくは、それについて、二、三人の人物に、殺すともゆるしがたき憤怒《ふんぬ》をおぼえる。太宰、恥じるところなし。顔をあげて歩けよ。クロ。」
「太宰様、その後、とんとごぶさた。文名、日、一日と御隆盛、要《い》らぬお世辞と言われても、少々くらいの御|叱正《しっせい》には、おどろきませぬ。さきごろは又、『めくら草紙』圧倒的にて、私、『もの思う葦《あし》』を毎月拝読いたし、厳格の修養の資とさせていただいて居ります。すこしずつ危げなく着々と出世して行くお若い人たちのうしろすがたお見送りたてまつること、この世に生きとし生きて在る者の、もっとも尊き御光を拝する気持ちで、昨日は、神棚の掃除いたし、この上は、吉田様の御出世御栄達を祈るのみでございます。思えば不思議の御縁でございます。太宰様は、一年間に、原稿用紙三百枚、それも、ただ机のうえにきちんと飾って、かたわらに万年筆、いつお伺いしてみても、原稿用紙いちまいも減った様子が見えず、早川さんと無言で将棋、もしくは昼寝、私にとっては、一番わるいお客でございましたが、それでも、あの辺の作家へお品をとどけての帰途は、必ずお寄り申しあげ、お茶のごちそうにあずかり、きっとあらわれるお方と、ひそかにたのしみにして居りました。けっして、人の陰口をきかず、よその人の消息をお話申しあげても、つまらなそうにして、私の商売のことのみ、たいへん熱心に御研究でございました。私の目に狂いはなく、きのうも某劇作大家の御面前にて、この自慢話一席ご披露して、大成功でございました。叱られても、いたしかたございません。以後、決して他でお噂《うわさ》申しませぬゆえ、此《こ》のたびに限り、御|寛恕《かんじょ》ください。とんだところで大失敗いたしました。さて、お言いつけの原稿用紙
前へ 次へ
全59ページ中53ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング