う一匹の赤い馬を見た。あるいは同じ馬であったかも知れぬ。針仕事をしていたようであった。しばらくしては立ちあがり、はたはたと着物の前をたたくのだ。糸屑《いとくず》を払い落す為であったかも知れぬ。からだをくねらせて私の片頬へ縫針を突き刺した。「坊や、痛いか。痛いか。」私には痛かった。


 私の祖母が死んだのは、こうして様様に指折りかぞえながら計算してみると、私の生後八カ月目のころのことである。このときの思い出だけは、霞《かすみ》が三角形の裂け目を作って、そこから白昼の透明な空がだいじな肌を覗《のぞ》かせているようにそんな案配にはっきりしている。祖母は顔もからだも小さかった。髪のかたちも小さかった。胡麻粒《ごまつぶ》ほどの桜の花弁を一ぱいに散らした縮緬《ちりめん》の着物を着ていた。私は祖母に抱かれ、香料のさわやかな匂いに酔いながら、上空の烏《からす》の喧嘩を眺めていた。祖母は、あなや、と叫んで私を畳のうえに投げ飛ばした。ころげ落ちながら私は祖母の顔を見つめていた。祖母は下顎をはげしくふるわせ、二度も三度も真白い歯を打ち鳴らした。やがてころりと仰向きに寝ころがった。おおぜいのひとたちは祖母のまわりに駈《は》せ集い、一斉に鈴虫みたいな細い声を出して泣きはじめた。私は祖母とならんで寝ころがりながら、死人の顔をだまって見ていた。※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《ろう》たけた祖母の白い顔の、額の両端から小さい波がちりちりと起り、顔一めんにその皮膚の波がひろがり、みるみる祖母の顔を皺《しわ》だらけにしてしまった。人は死に、皺はにわかに生き、うごく。うごきつづけた。皺のいのち。それだけの文章。そろそろと堪えがたい悪臭が祖母の懐の奥から這い出た。


 いまもなお私の耳朶《みみたぶ》をくすぐる祖母の子守歌。「狐の嫁入り、婿《むこ》さん居ない。」その余の言葉はなくもがな。(未完)



底本:「太宰治全集1」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年8月30日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:鈴木伸吾
1999年8月1日公開
2005年10月19日修正
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