いと言ったの。寒くって、かなやしない。」嘉七のほうに眼もくれず、ひとりで異様にはしゃいでいた。
 ふたりきりになると急に真面目になり、
「あたし、疲れてしまいました。お風呂へはいって、それから、ひとねむり仕様と思うの。」
「したの野天風呂に行けるかしら。」
「ええ、行けるそうです。おじさんたちも、毎日はいりに行ってるんですって。」
 主人が大きい藁《わら》ぐつをはいて、きのう降りつもったばかりの雪を踏みかため踏みかため路をつくってくれて、そのあとから嘉七、かず枝がついて行き、薄明の谷川へ降りていった。主人が持参した蓙《ござ》のうえに着物を脱ぎ捨て、ふたり湯の中にからだを滑り込ませる。かず枝のからだは、丸くふとっていた。今夜死ぬる物とは、どうしても、思えなかった。
 主人がいなくなってから、嘉七は、
「あの辺かな?」と、濃い朝霧がゆっくり流れている白い山腹を顎でしゃくってみせた。
「でも、雪が深くて、のぼれないでしょう?」
「もっと下流がいいかな。水上の駅のほうには、雪がそんなになかったからね。」
 死ぬる場所を語り合っていた。
 宿にかえると蒲団《ふとん》が敷かれていた。かず枝は、すぐそれにもぐりこんで雑誌を読みはじめた。かず枝の蒲団の足のほうに、大きい火燵がいれられていて、温かそうであった。嘉七は、自分のほうの蒲団は、まくりあげて、テエブルのまえにあぐらをかき、火鉢にしがみつきながら、お酒を呑んだ。さかなは、鑵詰《かんづめ》の蟹《かに》と、干椎茸《ほししいたけ》であった。林檎《りんご》もあった。
「おい、もう一晩のばさないか?」
「ええ、」妻は雑誌を見ながら答えた。「どうでも、いいけど。でも、お金たりなくなるかも知れないわよ。」
「いくらのこってんだい?」そんなことを聞きながら、嘉七は、つくづく、恥かしかった。
 みれん。これは、いやらしいことだ。世の中で、いちばんだらしないことだ。こいつはいけない。おれが、こんなにぐずぐずしているのは、なんのことはない、この女のからだを欲しがっているせいではなかろうか。
 嘉七は、閉口であった。
 生きて、ふたたび、この女と暮して行く気はないのか。借銭、それも、義理のわるい借銭、これをどうする。汚名、半気ちがいとしての汚名、これをどうする。病苦、人がそれを信じて呉れない皮肉な病苦、これをどうする。そうして、肉親。
「ねえ、おまえ
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