姥捨
太宰治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)仕末《しまつ》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)四肢|萎《な》えて、
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 そのとき、
「いいの。あたしは、きちんと仕末《しまつ》いたします。はじめから覚悟していたことなのです。ほんとうに、もう。」変った声で呟《つぶや》いたので、
「それはいけない。おまえの覚悟というのは私にわかっている。ひとりで死んでゆくつもりか、でなければ、身ひとつでやけくそに落ちてゆくか、そんなところだろうと思う。おまえには、ちゃんとした親もあれば、弟もある。私は、おまえがそんな気でいるのを、知っていながら、はいそうですかとすまして見ているわけにゆかない。」などと、ふんべつありげなことを言っていながら、嘉七も、ふっと死にたくなった。
「死のうか。一緒に死のう。神さまだってゆるして呉れる。」
 ふたり、厳粛に身支度をはじめた。
 あやまった人を愛撫した妻と、妻をそのような行為にまで追いやるほど、それほど日常の生活を荒廃させてしまった夫と、お互い身の結末を死ぬことに依《よ》ってつけようと思った。早春の一日である。そのつきの生活費が十四、五円あった。それを、そっくり携帯した。そのほか、ふたりの着換えの着物ありったけ、嘉七のどてらと、かず枝の袷《あわせ》いちまい、帯二本、それだけしか残ってなかった。それを風呂敷に包み、かず枝がかかえて、夫婦が珍らしく肩をならべての外出であった。夫にはマントがなかった。久留米絣《くるめがすり》の着物にハンチング、濃紺の絹の襟巻《えりまき》を首にむすんで、下駄だけは、白く新しかった。妻にもコオトがなかった。羽織も着物も同じ矢絣模様の銘仙《めいせん》で、うすあかい外国製の布切《ぬのきれ》のショオルが、不似合いに大きくその上半身を覆っていた。質屋の少し手前で夫婦はわかれた。
 真昼の荻窪の駅には、ひそひそ人が出はいりしていた。嘉七は、駅のまえにだまって立って煙草をふかしていた。きょときょと嘉七を捜し求めて、ふいと嘉七の姿を認めるや、ほとんどころげるように駈け寄って来て、
「成功よ。大成功。」とはしゃいでいた。「十五円も貸しやがった。ばかねえ。」
 この女は死なぬ。死なせては、いけないひとだ。おれみたいに生活に圧《お》し潰《つぶ》されていない。まだまだ生活する力を残し
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