始めてこの若い禅師さまにお目にかかつたといふわけでございましたが、一口に申せば、たいへん愛嬌のいいお方でございました。幼い頃から世の辛酸を嘗めて来た人に特有の、磊落のやうに見えながらも、その笑顔には、どこか卑屈な気弱い影のある、あの、はにかむやうな笑顔でもつて、お傍の私たちにまでいちいち叮嚀にお辞儀をお返しなさるのでした。無理に明るく、無邪気に振舞はうと努めてゐるやうなところが、そのたつた十二歳のお子の御態度の中にちらりと見えて、私は、おいたはしく思ひ、また暗い気持にもなりました。けれども流石に源家の御直系たる優れたお血筋は争はれず、おからだも大きくたくましく、お顔は、将軍家の重厚なお顔だちに較べると少し華奢に過ぎてたよりない感じも致しましたが、やつぱり貴公子らしいなつかしい品位がございました。尼御台さまに甘えるやうに、ぴつたり寄り添つてお坐りになり、さうして将軍家のお顔を仰ぎ見てただにこにこ笑つて居られます。
 そのとき将軍家は、私の気のせゐか幽かに御不快のやうに見受けられました。しばらくは何もおつしやらず、例の如く少しお背中を丸くなさつて伏目のまま、身動きもせず坐つて居られましたが、やがてお顔を、もの憂さうにお挙げになり、
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学問ハオ好キデスカ
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 と、ちよつと案外のお尋ねをなさいました。
「はい。」と尼御台さまは、かはつてお答へになりました。「このごろは神妙のやうでございます。」
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無理カモ知レマセヌガ
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 とまた、うつむいて、低く呟くやうにおつしやつて、
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ソレダケガ生キル道デス
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 尼御台さまは、すつと細い頸をお伸ばしになり素早くあたりを見廻しました。なんのためにお見廻しなさつたのか、私などに分らぬのは勿論の事でございますが、尼御台さま御自身にしてもなんの為ともわからず、ただふいと、あたりを見廻したいやうなお気持になつたのではないでせうか。御落飾の後は、御学問または御読経に専心なさつて、それだけが禅師たるお方の生きる道と心掛けること、それは当然すぎるほど当然のことで、将軍家のお言葉には何の奇も無いやうに私たちにはその時、感ぜられたのでございますが、でも後になつて、将軍家と禅師さまとの間にあのやうな悲しい事が起つて見ると、その日の将軍家の何気なささうなお諭しも、なんだか天のお声のやうな気がして来るのでございます。

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同年。十月大。十三日、辛卯、鴨社の氏人菊大夫長明入道、雅経朝臣の挙に依りて、此間下向し、将軍家に謁し奉ること度々に及ぶと云々、而るに今日幕下将軍の御忌日に当り、彼の法花堂に参り、念誦読経の間、懐旧の涙頻りに相催し、一首の和歌を堂の柱に注す、草モ木モ靡シ秋ノ霜消テ空キ苔ヲ払フ山風
同年。十一月大。廿日、戊辰、将軍家貞観政要の談議、今日其篇を終へらる、去る七月四日之を始めらる。
同年。十二月大。十日、戊午、和漢の間、武将の名誉有るの分御尋ね有るに就いて、仲章朝臣之を注し出して献覧せしむ、今日、善信、広元等、御前に於て読み申す、又御不審を尋ね仰せられ、再三御問答の後、頗る御感に及ぶと云々。
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 また、そのとしの秋、当時の蹴鞠の大家でもあり、京の和歌所の寄人でもあつた参議、明日香井雅経さまが、同じお歌仲間の、あの、鴨の長明入道さまを京の草庵より連れ出して、共に鎌倉へ下向し、さうして長明入道さまを将軍家のお歌のお相手として御推挙申し上げたのでございましたが、この雅経さまの思ひつきは、あまり成功でなかつたやうに私たちには見受けられました。入道さまは法名を蓮胤と申して居られましたが、その蓮胤さまが、けふ御ところにおいでになるといふので私たちも緊張し、また将軍家に於いても、その日は朝からお待ちかねの御様子でございました。なにしろ、鴨の長明さまと言へば、京に於いても屈指の高名の歌人で、かしこくも仙洞御所の御寵愛ただならぬものがあつたとか、御身分は中宮叙爵の従五位下といふむしろ低位のお方なのに、四十七歳の時には摂政左大臣良経さま、内大臣通雅さま、従三位定家卿などと共に和歌所の寄人に選ばれるといふ破格の栄光にも浴し、その後、思ふところあつて出家し、大原に隠棲なされて、さらに庵を日野外山に移し、その鎌倉下向の建暦元年には既におとしも六十歳ちかく、全くの世を捨人の御境涯であつたとは申しながら、隠す名はあらはれるの譬で、そのお歌は新古今和歌集にもいくつか載つてゐる事でございますし、やはり当代の風流人としてそのお名は鎌倉の里にも広く聞えて居りました。その日、入道さまは、参議雅経さまの御案内で、御ところへまゐり将軍家へ御挨拶をなさいまして、それからすぐに御酒宴がひらかれましたが、入道さまは、ただ、きよとんとなされて、将軍家からのお盃にも、ちよつと口をおつけになつただけで、お盃を下にさし置き、さうしてやつぱり、きよとんとして、あらぬ方を見廻したりなどして居られます。あのやうに高名なお方でございますから、さだめし眼光も鋭く、人品いやしからず、御態度も堂々として居られるに違ひないと私などは他愛ない想像をめぐらしてゐたのでございましたが、まことに案外な、ぽつちやりと太つて小さい、見どころもない下品の田舎ぢいさんで、お顔色はお猿のやうに赤くて、鼻は低く、お頭は禿げて居られるし、お歯も抜け落ちてしまつてゐる御様子で、さうして御態度はどこやら軽々しく落ちつきがございませんし、このやうなお方がどうしてあの尊い仙洞御所の御寵愛など得られたのかと私にはそれが不思議でなりませんでした。さうしてまた将軍家に於いても、どこやら緊張した御鄭重のおもてなし振りで、
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チト、都ノ話デモ
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 と入道さまに向つては、ほとんど御老師にでも対するやうに口ごもりながら御遠慮がちにおつしやるので、私たちには一層奇異な感じが致しました。入道さまは、
「は?」とおつしやつて聞き耳を立て、それから、「いや、この頃は、さつぱり何事も存じませぬ。」と低いお声で言つてお首を傾け、きよとんとしていらつしやるのでした。けれども将軍家は、例のあの、何もかも御洞察なさつて居られるやうな、また、なんにもご存じなさらぬやうな、ゆつたりした御態度で、すこしお笑ひになつて、
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世ヲ捨テタ人ノオ気持ハ
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 と更にお尋ねになりました。入道さまはやつぱり、
「は?」とおつしやつて聞き耳を立て、それから、がくりと項垂れて何か口の中で烈しくぶつぶつ言つて居られたやうでしたが、ひよいと顔をお挙げになつて、「おそれながら申し上げまする。魚の心は、水の底に住んでみなければわかりませぬ。鳥の心も樹上の巣に生涯を託してみなければ、わかりませぬ。閑居の気持も全く同様、一切を放下し、方丈の庵にあけくれ起居してみなければ、わかるものではござりませぬ。そこの妙諦を、私が口で何と申し上げても、おそらく御理解は、難からうかと存じまする。」さらさらと申し上げました。けれども将軍家は、一向に平気でございました。
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一切ノ放下
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 と微笑んで御首肯なされ、
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デキマシタカ
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 ややお口早におつしやいました。
「されば、」と入道さまも、こんどは、例の、は? と聞き耳を立てることも無く、言下に応ぜられました。「物慾を去る事は、むしろ容易に出来もしまするが、名誉を求むる心を棄て去る事は、なかなかの難事でござりました。瑜伽論にも『出世ノ名声ハ譬ヘバ血ヲ以テ血ヲ洗フガ如シ』とございまするやうに、この名誉心といふものは、金を欲しがる心よりも、さらに醜く奇怪にして、まことにやり切れぬものでござりました。ただいまの御賢明のお尋ねに依り、蓮胤日頃の感懐をまつすぐに申し述べまするが、蓮胤、世捨人とは言ひながらも、この名誉の慾を未だ全く捨て去る事が出来ずに居りまする。姿は聖人に似たりといへども心は不平に濁りて騒ぎ、すみかを山中に営むといへども人を恋はざる一夜も無く、これ貧賤の報のみづから悩ますところか、はたまた妄心のいたりて狂せるかと、われとわが心に問ひかけてみましても更に答へはござりませぬ。御念仏ばかりが救ひでござりまする。」けれどもお顔には、いささかも動揺の影なく、澱みなく言ひ終つて、やつぱりきよとんとして居られました。
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遁世ノ動機ハ
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 と軽くお尋ねになる将軍家の御態度も、また、まことに鷹揚なものでございました。
「おのが血族との争ひでござります。」
 とおつしやつた、その時、入道さまの皺苦茶の赤いお顔に奇妙な笑ひがちらと浮んだやうに私には思はれたのですが、或いは、それは、私の気のせゐだつたかも知れませぬ。
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ドノヤウナ和歌ガヨイカ
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 将軍家は相変らず物静かな御口調で、ちがふ方面の事をお尋ねになりました。
「いまはただ、大仰でない歌だけが好ましく存ぜられます。和歌といふものは、人の耳をよろこばしめ、素直に人の共感をそそつたら、それで充分のもので、高く気取つた意味など持たせるものでないやうな気も致しまする。」あらぬ方を見ながら入道さまは、そのやうな事を独り言のやうにおつしやつて、それから何か思ひ出されたやうに、うん、とうなづき、「さきごろ参議雅経どのより御垂教を得て、当将軍家のお歌数十首を拝読いたしましたところ、これこそ蓮胤日頃あこがれ求めて居りました和歌の姿ぞ、とまことに夜の明けたるやうな気が致しまして、雅経どのからのお誘ひもあり、老齢を忘れて日野外山の草庵より浮かれ出て、はるばる、あづまへまかり出ましたといふ言葉に嘘はござりませぬが、また一つには、これほど秀抜の歌人の御身辺に、恐れながら、直言を奉るほどの和歌のお仲間がおひとりもございませぬ御様子が心許なく、かくては真珠も曇るべしと老人のおせつかいではございまするが、やもたてもたまらぬ気持で、このやうに見苦しいざまをもかへりみず、まかり出ましたやうなわけもござりまする。」と意外な事を言ひ出されました。
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ヲサナイ歌モ多カラウ
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「いいえ、すがたは爽やか、しらべは天然の妙音、まことに眼のさめる思ひのお歌ばかりでございまするが、おゆるし下さりませ、無頼の世捨人の言葉でございます、嘘をおよみにならぬやうに願ひまする。」
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ウソトハ、ドノヤウナ事デス。
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「真似事でございます。たとへば、恋のお歌など。将軍家には、恐れながら未だ、真の恋のこころがおわかりなさらぬ。都の真似をなさらぬやう。これが蓮胤の命にかけても申し上げて置きたいところでござります。世にも優れた歌人にまします故にこそ、あたら惜しさに、居たたまらずこのやうに申し上げるのでござります。雁によする恋、雲によする恋、または、衣によする恋、このやうな題はいまでは、もはや都の冗談に過ぎぬのでござりまして、その洒落の手振りをただ形だけ真似てもつともらしくお作りになつては、とんだあづまの片田舎の、いや、お聞き捨て願ひ上げます。あづまには、あづまの情がある筈でござります。それだけをまつすぐにおよみ下さいませ。ユヒソメテ馴レシタブサノ濃紫オモハズ今ニアサカリキトハ、といふお歌など、これがあの天才将軍のお歌かと蓮胤はいぶかしく存じました。御身辺に、お仲間がいらつしやりませぬから、いいえ、たくさんいらつしやつても、この蓮胤の如く、」と言ひかけた時に、将軍家は笑ひながらお立ちになり、
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モウヨイ。ソノ深イ慾モ捨テルトヨイノニ。
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 とおつしやつて、お奥へお引き上げになられました。私もそのお後につき従つてお奥へまゐりましたが、お奥の人たちは口々に、入道さまのぶしつけな御態度
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