り、此事に依りて馳せ参じ、今日御所に参上し、御対面有り、其次を以て、且は累日の労功を考へ、且は子息義直、義重等勘発の事を愁ふ、仍つて今更御感有りて、沙汰を経らるるに及ばず、父の数度の勲功に募り、彼の両息の罪名を除かる、義盛老後の眉目を施して退出すと云々。
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 さて、つづく建暦三年、このとしは十二月六日に建保と改元になりましたが、なにしろ、事の多いとしでございました。正月一日から地震がございまして、はなはだ縁起の悪い気持が致しましたが、果して陰謀やら兵乱やら、御ところの炎上、また大地震、落雷など、鎌倉中がひつくり返るやうな騒ぎばかりが続きました。けれども将軍家の御一身上に於いては、御難儀、御心痛の事もそれは少からずございましたでせうが、それと同時に、このとしあたりが最も張り合ひのございました時代のやうに見受けられぬ事もないわけではございませんでした。神品に近い秀抜のお歌も、このとしには続々とお出来になりました御様子でございますし、のちに鎌倉右大臣家集とも呼ばれ、または金槐和歌集とも称せられた千古不滅の尊くもなつかしい名歌集も、このとしの暮にひそかに御自身お編みにな
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