る鎌倉の甘縄神社にはそれから程なく御自身、御台所さまと共に御参詣なされたとか、そのうへ、御幼時から観音経や法華経を御日課として読誦なされて居られたお方だつたさうで、その御信心の深さのほどに就いては、いろいろと承つて居りますけれども、当将軍家もまた御襲職以来、伊勢内外宮を始め鶴岳、二所、三嶋、日光その他あまたの神社に神馬を奉納仕り、御参拝も怠らず、またその伊勢の大神の御嫡流たる京都御所のかしこき御方々に対する忠誠の念も巌の如く不動のものに見受けられました。この事に就いてはまたのちほども申し上げたいと存じて居りますが、このとしの二月、二所詣からお帰りになつて間もなくのこと、京都を守護し奉つてゐる諸国の侍たちがこのごろ役目を怠りがちだといふ事をお聞きになつて、大いに恐懼なされ、もつてのほかの事、今後は、一箇月間つとめを休んだ者にはさらに三箇月勤務を強ひるやう、と諸国の守護人にきつく申し渡されたやうな事もございました。もはや将軍家も御年二十一、次第に、荘厳と申してよいほどの陰影の深い尊さがその御言動にあらはれるやうになつて居りまして、同じ月の二十八日にも、実にお見事なる御裁決をなさいました。二
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