入道さまはちらと将軍家のはうを見て、「武芸のあとの酒盛りならまあ意味もあつて、我慢も出来るといふものでございますが、なんともつかぬ奇妙な御酒宴もこのごろは、たくさんあつて。」と老いの愚痴みたいな調子で眉をひそめておつしやるのでした。けれども将軍家は、何もお気づかぬ御様子で、ただにこにこ笑つておいででした。
「しかし、」と相州さまはひとりごとのやうに、ぼんやりおつしやいました。「婦女子を相手の酒もまた、やめられぬものです。」
「さうでせうか、」と入道さまは頬にかすかな笑ひを浮べて一膝のり出しました。いつもそのお言葉に裏のある入道さまのことでございますから、その時にもいつたいどんな事をおつしやりたい御本心だつたのか、私には見当もつきませんでした。「あなたも、ひどく御風流になられましたな。酒は士気を旺盛にするためのものとばかり、私は聞いて居りましたが、いろいろとまたその他にも、酒の功徳があるものらしい。」
その時、将軍家は静かに独り言のやうにおつしやいました。
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酒ハ酔フタメノモノデス。ホカニ功徳ハアリマセヌ。
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さうして、よろよろとお立ちに
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