参じ、相州の中使と称して、御昇進の間の事、諷諫し申す、須らく御子孫の繁栄を乞願はしめ給ふ可くば、御当官等を辞し、只征夷将軍として漸く御高年に及びて、大将を兼ねしめ給ふ可きかと云々、仰せて云ふ、諫諍の趣、尤も甘心すと雖も、源氏の正統此時に縮まり畢んぬ、子孫敢て之を相継ぐ可からず、然らば飽くまで官職を帯し、家名を挙げんと欲すと云々、広元朝臣重ねて是非を申す能はず、即ち退出して、此由を相州に申さると云々。
同年。十月大。五日、甲※[#「刀」の「ノ」が横向き、第3水準1−14−58]、将軍家、諸人の庭中に言上する事を聞かしめ給ふ。
同年。十一月小。廿四日、癸卯、晴、将軍家先生の御住所医王山を拝し給はんが為、渡唐せしめ給ふ可きの由、思食し立つに依りて、唐船を修造す可きの由、宋人和卿に仰す、又扈従の人六十余輩を定めらる、朝光之を奉行す、相州、奥州頻りに以て之を諫め申さると雖も、御許容に能はず、造船の沙汰に及ぶと云々。
同年。十二月大。一日、己酉、諸人の愁訴相積るの由、聞食すに依りて、年内に是非せしむ可きの旨、奉行人等に仰せらると云々。
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 御耽溺とは申しても、下衆の者たちの
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