北条氏との間に争端が生じ、比企氏は全滅、そのとき一幡さまもわづか御六歳で殺されました。御病床の左金吾将軍頼家公はそれをお聞きになつてお怒りになり、ただちに北条氏の討伐を和田氏、仁田氏などに書面を以てお言ひつけなさつたけれども、それも北条氏の逸早く知るところとなり、かへつて頼家公の御身辺さへ危くなつてまゐりましたので御母君の尼御台さまは、頼家公の御身に危害の及ばぬやう無理矢理出家せしめ、一方お弟君の千幡さまの将軍職たるべき宣旨を乞ひ、頼家公はその御病状のやや快方に向はれしと同時に伊豆国修善寺に下向なされ、さしもの大騒動も尼御台さまのお働きにてまづは一段落となつたとか、人から聞いた事がございます。左金吾禅室さまは、修善寺に於いて鬱々の日々をお送りになり、つひに翌年の元久元年七月十八日に御年二十三歳でおなくなりになられました。おなくなりになつた事に就いて、これも北条氏の手に依つて殺害せられたのだといふ不気味な噂が立つたさうでございますが、それは私がやつと七つか八つになつたばかりの頃の事でございますし、またそのやうな事に就いての穿鑿は気の重いことで、まあ、そんな事はございますまいと私は打ち消したい気持でございます。さてその二代将軍頼家公すなはち後に出家して二品禅室さまには、一幡、善哉、千寿などのお子がございましたが、御長子の一幡さまは、例の比企氏の乱の折に比企氏の御一族と共に北条氏に殺され、御三男の千寿さまも、のちに信濃国の住人泉小次郎親平などの叛謀に巻き込まれ、まもなく出家し栄実と号して京都に居られましたが、またもや謀反の噂を立てられ、京の御宿舎に於いて自殺をなさいまして、御次男の善哉さまはそのやうな御難儀にも遭はず、すくすく御成長なさつてゐたといふわけになるのでございますが、この善哉さまは、元久二年十二月、六歳の暮に、御祖母の尼御台さまの御指図に依り鶴岳八幡宮寺別当尊暁さまの御門弟として僧院におはひりになり、翌る建永元年に、やはり尼御台さまのお計ひに依り、将軍家の御猶子にならせられたのださうでございます。さうして、この建暦元年には、やうやく十二歳になられ、その時の別当定暁僧都さまの御室に於いて落飾なされて、その法名を公暁と定められたのでございます。それは九月の十五日の事でございましたが、御落飾がおすみになつてから尼御台さまに連れられて将軍家へ御挨拶に見えられ、私はその時始めてこの若い禅師さまにお目にかかつたといふわけでございましたが、一口に申せば、たいへん愛嬌のいいお方でございました。幼い頃から世の辛酸を嘗めて来た人に特有の、磊落のやうに見えながらも、その笑顔には、どこか卑屈な気弱い影のある、あの、はにかむやうな笑顔でもつて、お傍の私たちにまでいちいち叮嚀にお辞儀をお返しなさるのでした。無理に明るく、無邪気に振舞はうと努めてゐるやうなところが、そのたつた十二歳のお子の御態度の中にちらりと見えて、私は、おいたはしく思ひ、また暗い気持にもなりました。けれども流石に源家の御直系たる優れたお血筋は争はれず、おからだも大きくたくましく、お顔は、将軍家の重厚なお顔だちに較べると少し華奢に過ぎてたよりない感じも致しましたが、やつぱり貴公子らしいなつかしい品位がございました。尼御台さまに甘えるやうに、ぴつたり寄り添つてお坐りになり、さうして将軍家のお顔を仰ぎ見てただにこにこ笑つて居られます。
 そのとき将軍家は、私の気のせゐか幽かに御不快のやうに見受けられました。しばらくは何もおつしやらず、例の如く少しお背中を丸くなさつて伏目のまま、身動きもせず坐つて居られましたが、やがてお顔を、もの憂さうにお挙げになり、
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学問ハオ好キデスカ
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 と、ちよつと案外のお尋ねをなさいました。
「はい。」と尼御台さまは、かはつてお答へになりました。「このごろは神妙のやうでございます。」
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無理カモ知レマセヌガ
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 とまた、うつむいて、低く呟くやうにおつしやつて、
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ソレダケガ生キル道デス
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 尼御台さまは、すつと細い頸をお伸ばしになり素早くあたりを見廻しました。なんのためにお見廻しなさつたのか、私などに分らぬのは勿論の事でございますが、尼御台さま御自身にしてもなんの為ともわからず、ただふいと、あたりを見廻したいやうなお気持になつたのではないでせうか。御落飾の後は、御学問または御読経に専心なさつて、それだけが禅師たるお方の生きる道と心掛けること、それは当然すぎるほど当然のことで、将軍家のお言葉には何の奇も無いやうに私たちにはその時、感ぜられたのでございますが、でも後になつて、将軍家と禅師さまとの間にあのやうな悲しい事が起つて見ると、
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