られたものらしく、鎌倉右大臣家集或いは金槐和歌集といふ名前などは、もちろん将軍家のおなくなりになつて後に附せられたものでございませうが、ついでながら、金槐の金は鎌倉の鎌の偏をとつたものの由で、槐は御承知のとほり大臣を意味する言葉ゆゑ、金槐とは鎌倉右大臣の事でございますさうで、私たちには思ひ出も悲しくさうして今ではあのお方の御俤をしのぶ唯一のお形見ともなつたあの御歌集が、御年わづか二十二歳で完成せられたとは、あのお方の、やつぱり、ただ人でないといふ事の何よりの証拠ともならうかと存ぜられます。そのとしのお正月にも、例の二所詣をなさいまして、私などもお供の端に加へていただき、御出発して程なく、ひどい吹き降りになつて難儀をいたしましたが、将軍家はお気軽なもので、
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春雨ニウチソボチツツアシビキノヤマ路ユクラム山人ヤ誰
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などといふおたはむれのお歌をおよみになつて、お供の人たちを大笑ひさせて居られました。本当に、この毎年の二所詣は、将軍家の深い御敬神のお心から取行はせられたとは言へ、滅多に遠く御他出などなさらなかつた将軍家にとつては、これが唯一のお気晴しの御遊山であつたのかも知れませぬ。まづ箱根権現に参籠して謹んで祈誓の誠を致され、それから伊豆山権現に向つて出発いたしましたが、その前日あたりから一片の雲もなく清澄に晴れて、あたたかい日が続き、申しぶんの無いたのしい旅が出来ました。箱根を進発してすぐに峠にさしかかり、振りかへつてみると箱根の湖は樹間に小さくいぢらしげに碧水を湛へてゐるのが眼下に見えました。
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タマクシゲ箱根ノ水海ケケレアレヤ二クニカケテ中ニタユタフ
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と将軍家のおよみなされたのもこの時でございまして、間然するところなき名描写のやうに私たちには思はれました。既にご存じでございませうが、心のことを東言葉でケケレと申す事もございまして、また二クニといふのは相模と伊豆の事かと存ぜられます。相模伊豆の国ざかひに、感じ易いものの姿で蒼くたゆたうてゐるさまが、毎度の事でございますが、不思議なくらゐそのまんま出てゐるやうに思はれます。将軍家のお歌は、どれも皆さうでございますが、隠れた意味だの、あて附けだの、そんな下品な御工夫などは一つも無く、すべてただそのお言葉のとほり、それだけの事
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