しなさつた事などほとんど無く、この建保五、六年の将軍家の御奢侈をさへ厳しくおいさめ申したといふ噂を聞かず、かへつてその華美を尽した絢爛の御法要などに御台所さまと御一緒にお見えになつて、御機嫌も、うるはしい御模様に拝され、それは決して当将軍家の事を白痴だなどと申してあきらめていらつしやる故ではなく、心から御信頼あそばしていらつしやるからこそ、このやうな淡泊の御態度をお示しになる事も出来るのであらうと、私たちと致しましては、なんとしても、そのやうにしか思はれなかつたのでございました。建保六年の三月には、将軍家かねて御嘱望の左近大将に任ぜられ、六月二十七日にはその御拝賀のため鶴岳宮にお参りなさいましたが、その折の御行列の御立派だつたこと、まさに鎌倉はじまつて以来の美々しい御儀式でございまして、すでに御式の十日ほど前から京の月卿雲客たちが続々とその御神拝に御列席のため鎌倉へお見えになつて居られまして、二十日には、御勅使内蔵頭忠綱さまの御参著、かしこくも仙洞御所より御下賜に相成りましたところの、御拝賀の御調度すなはち檳榔、半蔀の御車二輛、御弓、御装束、御随身の装束、移鞍などおびただしく御ところにおとどけになられ、将軍家はいまさらながら鴻大の御朝恩に感泣なされて、御勅使忠綱さまに対して実に恭しく御礼言上あそばされ、御饗応も山の如く、この日にはまた池前兵衛佐為盛さま、右馬権頭頼茂さまなども京より御下著になり、このお方たちにもまたお手厚い御接待を怠らず、御式の日に至るまで連日連夜、御饗宴、御進物など花美を尽し、ために費用も莫大なるものになりました御様子で、関東の庶民は等しくその費用の賦課にあづかり、ひそかに将軍家をお怨み申した者も少からずございました由、風のたよりに聞き及んで居ります。けれども将軍家に於いては、御費用の事など一向にお気にとめられぬ御様子で、その二十七日にめでたく御拝賀の式がおすみになると、さらに七月八日、左大将御直衣始の御儀式を挙げられ、先月二十七日の御拝賀の折と全く御同様の大がかりな御粧ひの御行列にて鶴岳宮へ御参拝に相成り、いまはもう、御家人といひ土民といひ、ほとんどその財産を失ひ、愁歎の声があからさまに随処に起る有様でございましたのに、さらに、そのとしの十二月二日、将軍家いよいよ右大臣に任ぜられ、二十日、右大臣政所始の御儀式を行はせられ、二十一日、将軍家右大臣御
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