はあれほどの御赤心、また幕府の御政務に対してはあれほどの御英才と御手腕をお示しになりながら、あの承久の大悪事を犯すに至つた相州さまを、なぜ早くよりよろしく御教導出来なかつたかと、これも私どもの、慾の深すぎる話にきまつて居りますけれども、それだけがたつた一つの無念のところでございます。御政務に於いても、以前は、相州さまであらうが何であらうが、それが間違つて居りますならば、ひどく手きびしくはねつけたものでごさいましたが、この和田さまの事件あたりから、さすがの将軍家も、時々、とても、もの憂さうな御様子をお見せになりまして、
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関東ハ源家ノ任地デシタガ、北条家ニトツテハ関東ハ代々ノ生地デス。気持ガチガヒマス。
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と、謎のやうなお言葉を私たちお傍の者におもらしなさつた事さへございました。さうして、その頃から、お酒の量も、めつきりふえたやうに拝されました。このとしの五月の兵乱も、すでに三年前の承元四年十一月二十一日にお夢のお告げに依つて察知なされてゐたといふ事はまへにも申し上げて置きましたけれども、その時のお夢は、ただ、合戦あるべしといふのみにて、どなたの反乱であるか、その主謀者の名まではおわかりになつてゐなかつたのではなからうかと思はれます。さうして一年経ち、二年経ちしてゐるうちに、勘のするどい将軍家のことでございますから、或いは和田氏あたりが老いの一徹から短慮の真似をしでかすのではあるまいか、との御懸念も生じてまゐりました御様子で、まさか、それだけの理由からでもございませんでせうけれども、この建保元年のまへのとしあたりから、急に目立つて和田氏御一族を御寵愛なされ、わけても左衛門尉義盛さまをば、いつもお傍からはなさずに何かとこの武骨の御老人をおいたはりなさるやうになりまして、それから建保元年の二月に、れいの泉小次郎親平の陰謀があらはれ、和田氏の御一族のお方たちもそれに加担して居られて、もうその時すでに、将軍家も、いまはこれまで、とお見極めをつけておしまひになつたのではないでせうか、あの頃から、御政務の御決裁に当つても以前ほどの御熱意は見受けられず、まるで御冗談のやうに矢鱈に謀逆の囚人たちを放免させてお笑ひになつてゐるかと思ふと、急にがくりとお疲れの御様子をお示しになつたり、それまで固く握りしめなされてゐた何物かを、その時からりと
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