深い底意が感ぜられ、将軍家に於いてもその一言のために、くるりとお考へが変つた御様子で、幽かにお首を横にお振りになつてしまひました。
「なにしろ、」と広元入道さまは、将軍家のお心のきまつたらしいのを見とどけて、ほつとした御様子で、つるりとお顔を撫で、それから仔細らしく眉をひそめて言ひ出しました。この広元入道さまは、まことに御用心深いお方で、何事につけても決して強く出しやばるやうな真似はなさらず、私どもにはなんの事やらわけのわからぬくらゐ甚だ遠まはしのあいまいな言ひかたばかりなさつて、四囲の大勢が決すると、はじめて、思案深げにその大勢に合槌を打つといふのが、いつものならはしでございまして、私どもにはそのお態度がどうにも歯がゆくてたまりませんでしたけれど、それがまた入道さまの大人物たる所以で、故右大将家幕府御創設このかた、人にうらまれるやうな事もなく、これといふ御失態もなさらず、つねに鎌倉一の大政治家たるの栄誉を持ちつづけることの出来た原因の一つでございましたのかも知れませぬ。「あの和田平太胤長といふのは、このたびの陰謀の張本人のひとりでございますから、御子息の義直、義重などの伴類のものと同様に御赦免は、むづかしからうとは存じましたが、一族九十八人がずらりと居並んでの歎願には、いや驚きまして、一応お取次ぎだけは致して置かうと存じましてただいま申し上げてみたやうな次第でございますが、和田氏もきのふ御子息の御宥免にあづかつたばかりなのに、さらに今日は主謀者たる甥の御赦免まで願ひ出るとは、ちと虫がよすぎるとは思ひましたものの、なにしろあの頑固の老人の事でございますから、是が非でもこの懇願一つはお聞きいれ賜りたしと、ぴたりと坐つて動きませんので、いや、とにかく、これは、――」などと、おつしやる事がやつぱり少しも要領を得ませんでした。広元さまは、大事な時には、いつでもこのやうなお態度をおとりになるのでございます。その時にも、将軍家に於いては既に御許容相成らずと決裁がすんでゐるのに、その御決裁を和田氏一族に申渡す憎まれ役だけはごめんなので、かうして何かとつまらぬ事をくどくどとおつしやつて、そのうち誰か、申渡しの役を引受けてくれるだらうとお心待ちになつて居られたのに違ひございませぬ。まいどの事なので相州さまにもそれがわからぬ筈はなく、まじめなお顔で、「それでは私が申渡してまゐりませう。
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