れども、たつた八十五騎とは心細いやうなもので、馬は毛深いよぼよぼの百姓馬、鎧は色あせて片袖の無いのがあつたり、毛沓は虫に食はれて毛が脱落いたし、いづれを見ても満足の武装ではなく、中には頬被りするものなどもあつて、ひどい軍勢でございましたさうですが、時政公の乾坤一擲の御意気ものすごく、すすめやすすめと戦法も何もあつたものでなく、ただどやどやと目代のお宅にあがり込み、寄つてたかつて兼隆の首級を挙げ、さいさきよしと喜び合つたこれこそ、そもそもの真の御挙兵とも申すべきで、和田左衛門尉さまなどは、その後、時政公からの使者を受けて三浦さま御一族と共にこれに御助勢申し上げたので、あの畠山御一族などはそのころは平家方にお仕へしてゐて、その三浦和田の軍勢と一合戦なさつた事さへあるさうで、はじめの八十五騎の心細くもあり、またけなげの御挙兵はただ北条家御一族にのみよつてなされたといふのは、たしかな事のやうでございまして、それ以来、故将軍家幕府御創設までの北条家御一族のお働きは、ご存じないお方など、ひとりも無い筈でございます。また当将軍家に対しては、ちやうど時政公が故右大将家をひとめで見込んだやうに、その御嫡子の義時さまが非常な力のいれ方で、前にも申し上げましたが当将軍家御襲職のために比企氏と戦ひこれを倒し、またのちに実の御父君と争つてまで当将軍家のお身を御守護なされ、それからも蔭になり日向になりお世話申してまゐりました、謂はばこれも当将軍家にとつては第一の功臣、先代の時政公は故右大将家の第一の功臣、このやうに親子二代つづいてそれぞれの将軍家におつくしなさつたのでございますから、外戚とか何かの御縁を求めなくとも当然、執権におなりになるべき御人物で、そこに不思議は無い筈でございますが、けれども、どういふものか北条氏専横の不平の声が御ところの内にも巷にも絶えませんでした。なにもかも、あの相州さまの奇妙な律儀が、いけないので、あれが人の心にいやな暗い疑ひや憎しみを抱かせるのではないかと私には思はれてなりませぬ。正しい事をすればするほど、そこになんとも不快な悪臭が湧いて出るとは、まことに不思議な御人柄のお方もあつたものでございます。そのとしの三月にも相州さまは極めて当然の或る御処置をなさつたにもかかはらず、それが他人の私共にさへ、なんだかむごく、憎らしく思はれ、たうとう和田さま御一族を激怒させ、鎌
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