らせもなかった。むりもないことと思い、私はちっとも、うらまなかった。けれども、もし、これは、めっそうもない、不謹慎きわまる、もし、ではあるが、もし、母がそうなったら、どうしよう。ひょっとしたら、私は、知らせてもらえるかも知れない。知らせてもらえなくても、私は、我慢しなければいけない。それは、覚悟している。恨《うら》みには思わない。けれども、――やはり私にも虫のよいところがあって、あるいは、知らせてもらえるのではないかしら、とも思っているのである。そうして故郷へ呼びかえされる。私は、もう、十年ちかく、故郷を見ない。こっそり見に行きたくても、見ることを許されない。むりもないことなのだ。けれども、母のその場合、もし私が故郷へ呼びかえされたら、そのときには、どんなことが起るか。
それを考えてみたい。
電報が来る。私は困る。部屋の中をうろうろ歩きまわる。大いに困る。困って困って唸るかも知れない。お金がないのである。動きがつかないのである。私の訪問客たちは、みんな私よりも貧しく、そうして苦しい生活をしているのだから、こんな場合でも、とても、たのむわけにはいかない。知らせることさえ、私は、苦痛だ。訪問客たちは、そんな、まさかのときでも、役に立たないことを私以上に苦痛に思うにちがいない。私は、訪問客たちに、無益の恥をかかせたくない。それはかえって、私にとって、もっともっと苦痛だ。私は、ふと、死のうかと思う。ほかのこととはちがう。母の大事に接して、しかもこのふしだらでは、とてもこれは、人間の資格がない。もう、だめだ、と思う、そのとき、電報|為替《かわせ》が来る。あによめからである。それにきまっている。三十円。私はそのとき、五十円ほしかった。けれども、それは慾である。五十円と言えば大金である。五十円あれば、どこかの親子五人が、たっぷりひとつきにこにこして暮せるのである。どこかの女の子の盲目にちかい重い眼病をさえ完全になおせるのである。あによめも、できればもっと多くを送りたかったのであろうが、あによめ自身、そんなにお金がままになるわけでもなし、ぎりぎりの精一ぱいのところにちがいないので、また、よしんば、もっと多額を送れても、そこはたくさんの近親たちの手前もあり、さまざまの苦しい義理があるのだから、私がその三十円を不足に思うなど、とんでもないことである。私は、三十円の為替を拝むにちがいない。
私は、服装のことで思い悩む。久留米絣《くるめがすり》にセルの袴《はかま》が、私の理想である。かたぎの書生の服装が、私の家の人たちを、最も安心させるだろう。そうでなければ、ごくじみな背広姿がよい。色つきのワイシャツや赤いネクタイなど、この場合、極力避けなければならぬ。私のいま持っている衣服は、あのだぶだぶのズボンとそれから、鼠いろのジャンパーだけである。それっきりである。帽子さえ無い。私は、そんな貧乏画家か、ペンキ屋みたいな恰好して、今夜も銀座でお茶を飲んだのであるが、もし、この服装のままで故郷へ現われるものなら、家の人たちは、恥かしさに身も世もあらぬ思いをするであろう。私は、服装に就いて困窮する。そうして奇妙な決心をする。借衣《かりぎ》である。私は、並より少し背が低いほうなので、こういう場合でも、なにかと不便な思いをする。私と同じくらいの背丈《せたけ》の人間が、これはおかしな言いかたであるが日本にひとりしかいない。それは、私の訪問客ではなく、つねに私のふしだらの、真実の唯一の忠告者であるのだが、その親友は、また、私よりも、ずっとひどい貧乏で、洋服一着あるにはあるけれど、たいていかれの手許にはない。よそにあずけてあるのだ。私は三十円を持って、かの友人の許へ駈けつけ、簡単にわけを話し、十円でもって、そのあずけてあるところから取り戻し、それから、シャツ、ネクタイ、帽子、靴下のはてまで、その友人から借りて、そうして、どうやら服装が調うた。似合うも似合わぬもない、常識どおりの服装ができれば、感謝である。私の頭は大きいから、灰色のソフト帽は、ちょこんと頭に乗っかって悲惨である。背広は、無地の紺、ネクタイは黒、ま、普通の服装であろう。私は、あたふた上野駅にいそぐ。土産《みやげ》は、買わないことにしよう。姪《めい》、甥《おい》、いとこたち、たくさんいるのであるが、みんなぜいたくなお土産に馴れているのだから、私が、こっそり絵本一冊差し出しても、ただ単に、私を気の毒に思うだけのことであろうし、また、その母たちが或る種の義理から、この品物は受け取れませぬ、と私に突きかえさなければならぬようなことでも起れば、いよいよたいへんである。私は、お土産を買わないことにしよう。切符を買って汽車に乗る。
故郷に着いて、ほとんど十年ぶりで田舎の風物を見て、私は、歩きながら、泣くかも知れない。気を取り直して、家へはいる。トランクひとつさげていない自身の姿を、やりきれなく思う。家の中は、小暗く、しんとしている。あによめが、いちばんさきに私の姿を見つけるにちがいない。私は、すでに針のむしろの思いである。私は、阿呆のような無表情にちがいない。ただ、ぬっとつっ立っている。あによめの顔には、たしかに、恐怖の色があらわれる。ここに立っているこの男は、この薄汚い中年の男は、はたしてわたしの義弟であろうか。ねえさん、ねえさんと怜悧《れいり》に甘えていた、あの痩《や》せぎすの高等学校の生徒であろうか。いやらしい、いやらしい。眼は黄色く濁って、髪は薄く、額は赤黒く野卑にでらでら油光りして、唇は、頬は、鼻は、――あによめは、あまりの恐怖に、わなわなふるえる。
母の病室。ああ、これは、やっぱり困ったことだ。どうにも想像の外である。私の空想は、必ずむざんに適中する。おそろしい。考えてはならぬところだ。ここは、避けよう。
私が母の病室から、そっとすべり出たとき、よそに嫁いでいる私のすぐの姉も、忍び足でついて出て来て、
「よく来たねえ。」低く低くそう言う。
私は、てもなく、嗚咽《おえつ》してしまうであろう。
この姉だけは、私を恐れず、私の泣きやむのを廊下に立ったままで、しずかに待っていて呉れそうである。
「姉さん、僕は親不孝だろうか。」
――男爵は、そこまで考えて来て、頭から蒲団をかぶってしまった。久しぶりで、涙を流した。
すこしずつ変っていた。謂わば赤黒い散文的な俗物に、少しずつ移行していたのである。それは、人間の意志に依る変化ではなかった。一朝めざめて、或る偶然の事件を目撃したことに依って起った変化でもなかった。自然の陽が、五年十年の風が、雨が、少しずつ少しずつかれの姿を太らせた。一茎の植物に似ていた。春は花咲き、秋は紅葉する自然の現象と全く似ていた。自然には、かなわない。ときどきかれは、そう呟《つぶや》いて、醜く苦笑した。けれども、全部に負けた、きれいに負けたと素直に自覚して、不思議にフレッシュな気配を身辺に感じることも、たまにはあった。人間はここからだな、そう漠然と思うのであるが、さて、さしあたっては、なんの手がかりもなかった。
このごろは、かれも流石《さすが》に訪問客たちの接待に閉口を感じはじめていた。かれらの夜々の談笑におとなしく耳を傾けているのではあるが、どうにもやり切れない思いのすることがあった。かれには、訪問客たちの卑屈にゆがめられているエゴイズムや、刹那主義的な奇妙な虚栄を非難したい気持ちはなかった。すべては弱さから、と解していた。この人たちは皆、自分の愛情の深さを持てあまし、そうして世間的には弱くて不器用なので、どこにも他に行くところがなくなって、そうして僕のところに来ているのだ、気の毒である。せめて僕だけでも親切にもてなしてやらなければいけない、とそう思っていたのである。ところが、このごろ、ふっと或る種の疑念がわいて出た。なぜ、この人たちは働かないのかしら。たいへん素朴な疑念であった。求めて職が得られないならば、そのときには、純粋に無報酬の行為でもよい。拙《つた》なくても、努力するのが、正しいのではないのか。世の中は、それをしなければ、とても生きて居れないほどきびしいところではないのか。生活の基本には、そんな素朴な命題があって、思考も、探美も、挨拶も、みんなその上で行われているもので、こんなに毎晩毎晩、同じように、寝そべりながら虚栄の挨拶ばかり投げつけ合っているのは、ずいぶん愚かな、また盲目的に傲慢《ごうまん》な、あさましいことではないのか。ここに集る人たちより、もっと高潔の魂を持ち、もっと有識の美貌の人たちでも、ささやかな小さい仕事に一生、身を粉《こ》にして埋もらせているのだ。あの活動写真の助手は、まだこの仲間では、いちばん正しい。それを、みんなが嘲《あざけ》って、僕まで、あの人のはり切りに閉口したのは、これはよくなかった。はり切りという言葉は、これは下品なものではなかった。滑稽《こっけい》なものではなかった。ここに集る人たちは、みんな貧しく弱い。けれども、一時代のこの世の思潮が、この種の人たちを変に甘えさせて、不愉快なものにしてしまった。一体、いまの僕には、この人たちを親切にもてなす程の余裕が、あるのかしら。僕だって今では、同じ様に、貧しく弱い。ちっとも違っていないじゃないか。それに、いまでは、ブルジョアイデオロギーの悪徳が、かつての世の思潮に甘やかされて育った所謂《いわゆる》「ブルジョア・シッペル」たちの間にだけ残っているので、かえって滅亡のブルジョアたちは、その廃頽《はいたい》の意識を捨てて、少しずつ置き直って「るのではないか。それゆえに現代は、いっそう複雑に微妙な風貌をしているのではないか。弱いから、貧しいから、といって必ずしも神はこれを愛さない。その中にも、サタンがいるからである。強さの中にも善が住む。神は、かえってこれを愛する。
そうは思いながらも、やっぱりかれもくだらない男であった。自信がなかった。訪問客たちを拒否することができなかった。おそろしかった。坊主殺せば、と言われているが、弱い貧しい人たちを、いちどでも拒否したならば、その拒否した指の先からじりじり腐って、そうして七代のちまで祟《たた》られるような気さえしていた。結局ずるずる引きずられながら、かれは何かを待っていた。
三
とみから手紙が来た。
三日まえから沼津の海へロケーションに来ています。私は、浪のしぶきをじっと見つめて居ると、きっとラムネが飲みたくなります。富士山を見て居ると、きっと羊羹《ようかん》をたべたくなります。心にもない、こんなおどけを言わなければならないほど、私には苦しいことがございます。私も、もう二十六でございます。もう、あれから、十年にもなりますのね。ずいぶん勉強いたしました。けれども、なんにもなりませぬ。きょうは霧のようにこまかい雨が降っていて、撮影が休みなので、お隣りの部屋では、皆さん陽気に騒いでいます。私には、女優がむかないのかも知れません。お目にかかりたく、私は十六、十七、十八の三日間、休暇をもらって置きますから、どの日でも、新介様のお好きな日においで下さい。いっそ、私の汚いうちへおいで願えたら、どんなにうれしいことでしょう。別紙に、うちまでの略図かきました。こんな失礼なことを申して、恥ずかしくむしゃくしゃいたします。字が汚くて、くるしゅう存じます。一生の大事でございます。ぜひとも御相談いたしたく、ほかにたのむ身寄りもございませぬゆえ、厚かましいとは存じながら、お願い。
坂井新介様。とみ。[#「とみ。」は行末より4字上げ]
助監督のSさんからも、このごろお噂うけたまわって居ります。男爵というニックネームなんですってね。おかしいわ。
男爵は、寝床の中でそれを読んだ。はじめ、まず、笑った。ひどく奇怪に感じたのである。とみも、都会のモダンガールみたいに、へんな言葉づかいの手紙を書く、ということが、異様にもの珍らしく、なかなか笑いがとまらなかった。けれども、ふっと、厳粛になってしまった。与えられることは、かたく拒否できても、ものをたのまれて決し
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