いかれの手許にはない。よそにあずけてあるのだ。私は三十円を持って、かの友人の許へ駈けつけ、簡単にわけを話し、十円でもって、そのあずけてあるところから取り戻し、それから、シャツ、ネクタイ、帽子、靴下のはてまで、その友人から借りて、そうして、どうやら服装が調うた。似合うも似合わぬもない、常識どおりの服装ができれば、感謝である。私の頭は大きいから、灰色のソフト帽は、ちょこんと頭に乗っかって悲惨である。背広は、無地の紺、ネクタイは黒、ま、普通の服装であろう。私は、あたふた上野駅にいそぐ。土産《みやげ》は、買わないことにしよう。姪《めい》、甥《おい》、いとこたち、たくさんいるのであるが、みんなぜいたくなお土産に馴れているのだから、私が、こっそり絵本一冊差し出しても、ただ単に、私を気の毒に思うだけのことであろうし、また、その母たちが或る種の義理から、この品物は受け取れませぬ、と私に突きかえさなければならぬようなことでも起れば、いよいよたいへんである。私は、お土産を買わないことにしよう。切符を買って汽車に乗る。
 故郷に着いて、ほとんど十年ぶりで田舎の風物を見て、私は、歩きながら、泣くかも知れない。
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