、六年まえに姉のとみのところへ駈けつけて来て、いまは、私立の大学にかよっている。どうしたらいいでしょう。それが相談である。男爵は、呆れた。とみを、ばかでないかと疑った。
「ふざけるのも、いい加減にし給え。」あまりのばからしさに、男爵は警戒心さえ起して、多少よそ行きの言葉を使った。「どこがいったい、一生の大事なんです。結構な身分じゃないか。わざわざ僕は、遠いところからやって来たんだぜ。どこをどう、聞けばいいのだ。田舎のものたちが、おまえをあきらめて、全然交渉をたっているのなら、それはそれでいいじゃないか。弟が、どうなったって、男だ。どうにかやって行くだろう。おまえに責任は無い。あとは、おまえの自由じゃないか。なんだ、ばかばかしい。」散々の不気嫌であった。
「ええ、それが、」淋《さび》しそうに笑って、少し言い澱《よど》んでいたが、すっと顔をあげ、「あたし、結婚しようかと、思っていますの。」
「いいだろう。僕の知ったことじゃない。」
「は、」とみは恐れて首をちぢめた。「あの、それに就いて、――」
「さっさと言ったらいいだろう。おまえは一たい僕をなんだと思ってんだい。むかしからおまえには、こんな工合に、なんのかのと、僕にうるさくかまいたがる癖があったね。よくないよ。僕には、からかわれているとしか思われない。」むやみに腹が立つのである。
「いいえ。決してそんな。」必死に打ち消し、「お願いがございます。ひとつ、弟に説いてやって下さるわけには、――」
「僕が、かい。何を説くんだ。」
 とみは、途方《とほう》にくれた人のように窓外の葉桜をだまって眺めた。男爵も、それにならって、葉桜を眺めた。にが虫を噛みつぶしたような顔をしていた。とみは、ちょっと肩をすくめ、いまは観念したかおそろしく感動の無い口調で、さらさら言った。弟が、何かと理窟を言って、とみの結婚に賛成してくれぬ。私立大学の、予科にかよっているのだが、少し不良で、このあいだも麻雀賭博で警察にやっかいをかけた。あたしの結婚の相手は、ずいぶんまじめな、堅気の人だし、あとあと弟がそのお方に乱暴なことでも仕掛けたら、あたしは生きて居られない。
「それは、おまえのわがままだ。エゴイズムだ。」とみの話の途中で、男爵は大声出した。女性の露骨な身勝手があさましく、へんに弟が可哀そうになって、義憤をさえ感じた。「虫がよすぎる。ばかなやつだ。大ばかだ。なんだと思っていやがんだ。」男爵このごろ、こんなに立腹したことはなかった。怒鳴り散らしているうちに、身のたけ一尺のびたような、不思議なちからをさえ体内に感じた。
 あまりの剣幕《けんまく》に、とみの唇までが蒼《あお》くなり、そっと立ちあがって、
「あの。とにかく。弟に。」聞きとれぬほど低くとぎれとぎれに言い、身をひるがえして部屋から飛び出た。
「おうい、とみや。」十年まえに呼びつけていた口調が、ついそのまま出て、「僕は知らんぞ。」たいへんな騒ぎになった。
 ドアが音も無くあいて、眼の大きい浅黒い青年の顔が、そっと室内を覗《のぞ》き込んだのを、男爵は素早く見とがめ、
「おい、君。君は、誰だ。」見知らぬひとに、こんな乱暴な口のききかたをする男爵ではなかったのである。
 青年は悪びれずに、まじめな顔して静かに部屋へはいって来て、
「坂井さんですか。僕は、くにでいちどお目にかかったことがございます。お忘れになったことと思いますが。」
「ああ、君は、とみやの弟さんですね。」
「ええ、そうです。何か僕に、お話があるとか。」
 男爵は覚悟をきめた。
「あるよ。あるとも。言って置くけれどもね、僕は、いま、非常に不愉快なんだ。実に、どうにも、不愉快だ。君の姉さんは、あれは、ばかだよ。僕は、君の味方だ。僕は、ものを隠して置けないたちだから、みんな言っちまうがね、君の姉さんは、ちかく結婚したいっていうんだ。相手は、なかなか立派な人なんだそうだ。いや、それは、いいんだ。結構なことだ。僕の知ったことじゃない。けれども、そのあとがいけない。さもしい。なんのことはない、君を邪魔にしているんだ。僕は君を信じている。ひとめ見て僕には、わかる。君たち学生は、いや、僕だって同じようなものだが、努力の方針を見失っているだけだ。いや、その表現を失っているだけだ。学問の持って行きどころが無いじゃないか。世の中が、君たちのその胸の中に埋もれている誠実を理解してくれないだけのことだ。姉に捨てられたら、僕のとこに来い。一緒にやって行こう。なに、僕だって、いつまでもうろうろしているつもりはないのだ。僕は、こんな無益な侮辱を受けたことはない。女中の走り使いなんか、やらされて、たまるものか。だいいち、その相手の男なるものも、だらしないじゃないか。女房の弟ひとり養えなくて、どうする。」
「いいえ。僕は、」青年は、立っ
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