かだ。なんだと思っていやがんだ。」男爵このごろ、こんなに立腹したことはなかった。怒鳴り散らしているうちに、身のたけ一尺のびたような、不思議なちからをさえ体内に感じた。
あまりの剣幕《けんまく》に、とみの唇までが蒼《あお》くなり、そっと立ちあがって、
「あの。とにかく。弟に。」聞きとれぬほど低くとぎれとぎれに言い、身をひるがえして部屋から飛び出た。
「おうい、とみや。」十年まえに呼びつけていた口調が、ついそのまま出て、「僕は知らんぞ。」たいへんな騒ぎになった。
ドアが音も無くあいて、眼の大きい浅黒い青年の顔が、そっと室内を覗《のぞ》き込んだのを、男爵は素早く見とがめ、
「おい、君。君は、誰だ。」見知らぬひとに、こんな乱暴な口のききかたをする男爵ではなかったのである。
青年は悪びれずに、まじめな顔して静かに部屋へはいって来て、
「坂井さんですか。僕は、くにでいちどお目にかかったことがございます。お忘れになったことと思いますが。」
「ああ、君は、とみやの弟さんですね。」
「ええ、そうです。何か僕に、お話があるとか。」
男爵は覚悟をきめた。
「あるよ。あるとも。言って置くけれどもね、僕は、いま、非常に不愉快なんだ。実に、どうにも、不愉快だ。君の姉さんは、あれは、ばかだよ。僕は、君の味方だ。僕は、ものを隠して置けないたちだから、みんな言っちまうがね、君の姉さんは、ちかく結婚したいっていうんだ。相手は、なかなか立派な人なんだそうだ。いや、それは、いいんだ。結構なことだ。僕の知ったことじゃない。けれども、そのあとがいけない。さもしい。なんのことはない、君を邪魔にしているんだ。僕は君を信じている。ひとめ見て僕には、わかる。君たち学生は、いや、僕だって同じようなものだが、努力の方針を見失っているだけだ。いや、その表現を失っているだけだ。学問の持って行きどころが無いじゃないか。世の中が、君たちのその胸の中に埋もれている誠実を理解してくれないだけのことだ。姉に捨てられたら、僕のとこに来い。一緒にやって行こう。なに、僕だって、いつまでもうろうろしているつもりはないのだ。僕は、こんな無益な侮辱を受けたことはない。女中の走り使いなんか、やらされて、たまるものか。だいいち、その相手の男なるものも、だらしないじゃないか。女房の弟ひとり養えなくて、どうする。」
「いいえ。僕は、」青年は、立っ
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