虫、このごろのまた蠅《はえ》のうるさき事よ。ほら吹き、最もきらい也。
十五、わが家に書画|骨董《こっとう》の類の絶無なるは、主人の吝嗇《りんしょく》の故なり。お皿一枚に五十円、百円、否、万金をさえ投ずる人の気持は、ついに主人の不可解とするところの如し、某日、この主人は一友を訪れたり。友は中庭の美事なる薔薇《ばら》数輪を手折りて、手土産に与えんとするを、この主人の固辞して曰《いわ》く、野菜ならばもらってもよい。以て全豹を推すべし。かの剣聖が武具の他の一切の道具をしりぞけし一すじの精進の心と似て非なること明白なり。なおまた、この男には当分武具は禁物なり。気違いに刃物の譬《たと》えもあるなり。何をするかわかったものに非ず。弱き犬はよく人を噛むものなり。
十六、死は敢《あ》えて厭うところのものに非ず。生き残った妻子は、ふびんなれども致し方なし。然れども今は、戦死の他の死はゆるされぬ。故に怺《こら》えて生きて居るなり。この命、今はなんとかしてお国の役に立ちたし。この一箇条、敢えて剣聖にゆずらじと思うものの、また考えてみると、死にたくない命をも捨てなければならぬところに尊さがあるので、なんでもかん
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