ぬ。いわんや、その性善にして、その志向するところ甚だ高遠なるわが黄村先生に於《お》いてをやである。黄村先生とは、もとこれ市井《しせい》の隠にして、時たま大いなる失敗を演じ、そもそも黄村とは大損の意かと疑わしむるほどの人物であるけれども、そのへまな言動が、必ずわれらの貴い教訓になるという点に於いてなかなか忘れ難い先生なのである。私は今年のお正月、或る文芸雑誌に「黄村先生言行録」と題して先生が山椒魚に熱中して大損をした時の事を報告し、世の賢者たちに、なんだ、ばかばかしいと顰蹙《ひんしゅく》せられて、私自身も何だか大損をしたような気さえしたのであるが、このたびの先生の花吹雪格闘事件もまた、世の賢者たちに或《ある》いは憫笑《びんしょう》せられるかも知れない。けれども、あの山椒魚の失敗にしても、またこのたびの逸事にしても、先生にとっては、なかなか悲痛なものがあったに違いない、と私には思われてならぬので、前回の不評判にも懲《こ》りずに、今回ふたたび先生の言行を記録せむとする次第なのである。先生の失敗は、私たち後輩への佳《よ》き教訓になるような気がすると、前回に於いても申述べて置いた筈《はず》である
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