ある。節子は一瞬泣きべそに似た表情をするが、無理に笑って、残りの五円紙幣をも勝治の掌に載せてやる。
「サアンキュ!」勝治はそう言う。節子のお小使は一銭も残らぬ。節子は、その日から、やりくりをしなければならぬ。どうしても、やりくりのつかなくなった時には、仕方が無い、顔を真赤にして母にたのむ。母は言う。
「勝治ばかりか、お前まで、そんなに金使いが荒くては。」
節子は弁解をしない。
「大丈夫。来月は、だいじょうぶ。」と無邪気な口調で言う。
その頃は、まだよかったのだ。節子の着物が無くなりはじめた。いつのまにやら箪笥《たんす》から、すっと姿を消している。はじめ、まだ一度も袖《そで》をとおさぬ訪問着が、すっと無くなっているのに気附いた時には、さすがに節子も顔色を変えた。母に尋ねた。母は落ちついて、着物がひとりで出歩くものか、捜してごらん、と言った。節子は、でも、と言いかけて口を噤《つぐ》んだ。廊下に立っている勝治を見たのだ。兄は、ちらと節子に目くばせをした。いやな感じだった。節子は再び箪笥を捜して、
「あら、あったわ。」と言った。
二人きりになった時、節子は兄に小声で尋ねた。
「売っちゃったの?」
「わしゃ知らん。」タララ、タ、タタタ、廊下でタップ・ダンスの稽古《けいこ》をして、「返さない男じゃねえよ。我慢しろよ。ちょっとの間じゃねえか。」
「きっとね?」
「あさましい顔をするなよ。告げ口したら、ぶん殴《なぐ》る。」
悪びれた様子もなかった。節子は、兄を信じた。その訪問着は、とうとうかえって来なかった。その訪問着だけでなく、その後も着物が二枚三枚、箪笥から消えて行くのだ。節子は、女の子である。着物を、皮膚と同様に愛惜している。その着物が、すっと姿を消しているのを発見する度毎に、肋骨《ろっこつ》を一本失ったみたいな堪えがたい心細さを覚える。生きて甲斐《かい》ない気持がする。けれどもいまは、兄を信じて待っているより他は無い。あくまでも、兄を信じようと思った。
「売っちゃ、いやよ。」それでも時々、心細さのあまり、そっと勝治に囁《ささや》くことがある。
「馬鹿野郎。おれを信用しねえのか。」
「信用するわ。」
信用するより他はない。節子には、着物を失った淋しさの他に、もし此《こ》の事が母に勘附《かんづ》かれたらどうしようという恐ろしい不安もあった。二、三度、母に対して苦しい言
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