とどけさせたりする。節子は、いつも兄の命令に従った。兄の言に依《よ》れば、風間は、お金持のお坊ちゃんで秀才で、人格の高潔な人だという。兄の言葉を信じるより他はない。事実、節子は、風間をたよりにしていたのである。
 アパートへ教科書をとどけに行った時、
「や、ありがとう。休んでいらっしゃい。コーヒーをいれましょう。」気軽な応対だった。
 節子は、ドアの外に立ったまま、
「風間さん、私たちをお助け下さい。」あさましいまでに、祈りの表情になっていた。
 風間は興覚めた。よそうと思った。
 さらに一人。杉浦透馬。これは勝治にとって、最も苦手《にがて》の友人だった。けれども、どうしても離れる事が出来なかった。そのような交友関係は人生にままある。けれども杉浦と勝治の交友ほど滑稽で、無意味なものも珍しいのである。杉浦透馬は、苦学生である。T大学の夜間部にかよっていた。マルキシストである。実際かどうか、それは、わからぬが、とにかく、当人は、だいぶ凄《すご》い事を言っていた。その杉浦透馬に、勝治は見込まれてしまったというわけである。
 生来、理論の不得意な勝治は、ただ、閉口するばかりである。けれども勝治は、杉浦透馬を拒否する事は、どうしても出来なかった。謂わば蛇《へび》に見込まれた蛙《かえる》の形で、這《は》いつくばったきりで身動きも何も出来ないのである。あまりいい図ではなかった。この事に就いては、三つの原因が考えられる。生活に於いて何不足なく、ゆたかに育った青年は、極貧の家に生れて何もかも自力で処理して立っている青年を、ほとんど本能的に畏怖しているものである。次に考えられるのは、杉浦透馬が酒も煙草もいっさい口にしないという点である。勝治は、酒、煙草は勿論の事、すでに童貞をさえ失っていた。放縦《ほうじゅう》な生活をしている者は、かならずストイックな生活にあこがれている。そうして、ストイックな生活をしている人を、けむったく思いながらも、拒否できず、おっかなびっくり、やたらに自分を卑下してだらだら交際を続けているものである。三つには、杉浦透馬に見込まれたという自負である。見込まれて狼狽閉口していながらも、杉浦君のような高潔な闘士に、「鶴見君は有望だ」と言われると、内心まんざらでないところもあったのである。何がどう有望なのか、勝治には、わけがわからなかったのであるが、とにかく、今の勝治を、
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