かった。相手になる。僕も君には、がまんできない。よくよく思いあがった野郎だ。」煙草をぽんとほうって、二重まわしを脱ぎ、さらに羽織を脱ぎ、ちょっと思案してから兵古帯《へこおび》をぐるぐるほどき、着物まですっぽり脱いで、シャツと猿又《さるまた》だけの姿になり、
「女を肉体でしか考えることができないとは、気の毒なものさ。こちらにまで、その薄汚さの臭いが移ら。君なんかと取組んで着物をよごしたら、洗っても洗ってもしみがとれまい。やっかいなことだ。」言いながら、足袋《たび》を脱ぎ、高足駄《たかあしだ》を脱ぎ捨て、さいごに眼鏡をはずし、「来い!」
 ぴしゃあんと雪の原、木霊《こだま》して、右の頬を殴られたのは、助七であった。間髪《かんはつ》を入れず、ぴしゃあんと、ふたたび、こんどは左。助七は、よろめいた。意外の強襲であった。うむ、とふんばって、腰を落し、両腕をひろげて身構えた。取組めば、こっちのものだと、助七にはまだ、自信があった。
「なんだい、それあ。田舎の草角力《くさずもう》じゃねえんだぞ。」三木は、そう言い、雪を蹴ってぱっと助七の左腹にまわり、ぐゎんと一突き助七の顎に当てた。けれども、それは失敗であった。助七は三木のそのこぶしを素早くつかまえ、とっさに背負投、あざやかにきまった。三木の軽いからだは、雪空に一回転して、どさんと落下した。
「ちきしょう。味なことを。」三木は、尻餅《しりもち》つきながらも、力一ぱい助七の下腹部を蹴上げた。
「うっ。」助七は、下腹をおさえた。
 三木はよろよろ立ちあがって、こんどは真正面から、助七の眉間《みけん》をめがけ、ずどんと自分の頭をぶっつけてやった。大勢は、決した。助七は雪の上に、ほとんど大の字なりにひっくりかえり、しばらく、うごこうともしなかった。鼻孔からは、鼻血がどくどく流れ出し、両の眼縁がみるみる紫色に腫《は》れあがる。
 はるか遠く、楢《なら》の幹の陰に身をかくし、真赤な、ひきずるように長いコオトを着て、蛇の目傘を一本胸にしっかり抱きしめながら、この光景をこわごわ見ている女は、さちよである。
 さちよは、あの翌《あく》る日に出京して、そうして別段、勉強も、学問も、しなかった。もと銀座の同じバアにつとめていて、いまは神田のダンスホオルで働いている友人がひとり在って、そのひとの四谷のアパアトに、さちよはころがりこみ、編物をしたり、洗濯を
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