は、ばかに永い。
 しめた! 帰宅の時間だ。ばたばたと机上の書類を片づける。
 その時、いきせき切って、ひどく見すぼらしい身なりの女が出産とどけを持って彼の窓口に現われる。
「おねがいします」
「だめですよ。きょうはもう」
 津島はれいの、「苦労を忘れさせるような」にこにこ顔で答え、机の上を綺麗《きれい》に片づけ、空《から》のお弁当箱を持って立ち上る。
「お願いします」
「時計をごらん、時計を」
 津島は上機嫌で言って、その出産とどけを窓口の外に押し返す。
「おねがいします」
「あしたになさい、ね、あしたに」
 津島の語調は優しかった。
「きょうでなければ、あたし、困るんです」
 津島は、もう、そこにいなかった。
 ……見すぼらしい女の、出産にからむ悲劇。それには、さまざまの形態があるだろう。その女の、死なねばならなかったわけは、それは、私(太宰)にもはっきりわからないけれども、とにかく、その女は、その夜半に玉川上水に飛び込む。新聞の都下版の片隅に小さく出る。身元不明。津島には何の罪も無い。帰宅すべき時間に、帰宅したのだ。どだい、津島は、あの女の事など覚えていない。そうして相変らず、にこにこしながら家庭の幸福に全力を尽している。
 だいたいこんな筋書の短篇小説を、私は病中、眠られぬままに案出してみたのであるが、考えてみると、この主人公の津島修治は、何もことさらに役人で無くてもよさそうである。銀行員だって、医者だってよさそうである。けれども、私にこの小説を思いつかせたものは、かの役人のヘラヘラ笑いである。あのヘラヘラ笑いの拠って来る根元《こんげん》は何か。所謂「官僚の悪」の地軸は何か。所謂「官僚的」という気風の風洞は何か。私は、それをたどって行き、家庭のエゴイズム、とでもいうべき陰鬱な観念に突き当り、そうして、とうとう、次のような、おそろしい結論を得たのである。
 曰《いわ》く、家庭の幸福は諸悪の本《もと》。



底本:新潮文庫『ヴィヨンの妻』
   1950(昭和25)年12月20日発行
   1985(昭和60)年10月30日63刷改版
入力:細渕紀子
校正:小浜真由美
1999年1月1日公開
1999年8月20日修正
青空文庫作成ファイル:
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