れて、十年ほど前にお母さんが死んで、それからは厳父は、何事も大隅君の気のままにさせていた様子で、謂《い》わば、おっとりと育てられて来た人であって、大学時代にも、天鵞絨《ビロード》の襟《えり》の外套《がいとう》などを着て、その物腰も決して粗野ではなかったが、どうも、学生間の評判は悪かった。妙に博識ぶって、威張るというのである。けれども、私から見れば、そんな陰口は、必ずしも当を得ているとは思えなかった。大隅君は、不勉強な私たちに較《くら》べて、事実、大いに博識だったのである。博識の人が、おのれの知識を機会ある毎に、のこりなく開陳《かいちん》するというのは、極めて自然の事で、少しも怪《あや》しむに及ばぬ筈《はず》であるが、世の中は、おかしなもので、自己の知っている事の十分の一以上を発表すると、その発表者を物知りぶるといって非難する。ぶるのではない。事実、知っているから、発表するのだ。それも大いに遠慮しながら発表しているのだ。本当は、その五倍も六倍も深く知っているのだ。けれども人は、その十分の一以上の発表に対しては、必ず顔をしかめる。大隅君だって遠慮しているのだ。私たち不勉強の学生たちを気の毒
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