という事で、私は彼のそのような誇らしげの音信に接する度毎《たびごと》に、いよいよ彼に対する尊敬の念をあらたにせざるを得なかったわけであったが、私には故郷の老母のような愚かな親心みたいなものもあって、彼の大抱負を聞いて喜ぶと共に、また一面に於いては、ハラハラして、とにかくまあ、三日坊主ではなく、飽《あ》かずに気長にやって下さい、からだには充分に気をつけて、阿片などは絶対に試みないように、というひどく興醒《きょうざ》めの現実的の心配ばかり彼に言ってやるので、彼も面白くなくなったか、私への便りも次第に少くなって来た。昨年の春であったか、私は山田勇吉君の訪問を受けた。
山田勇吉君という人は、そのころ丸の内の或《あ》る保険会社に勤めていたようである。やはり私たちと大学が同期であって、誰よりも気が弱く、私たちはいつもこの人の煙草ばかりを吸っていた。そうしてこの人は、大隅君の博識に無条件に心服《しんぷく》し、何かと大隅君の身のまわりの世話を焼いていた。大隅君の厳父には、私は未だお目にかかった事は無いが、美事な薬鑵頭《やかんあたま》でいらっしゃるそうで、独り息子の忠太郎君もまた素直に厳父の先例に従い、大学を出た頃から、そろそろ前額部が禿《は》げはじめた。男子が年と共に前額部の禿げ上るのは当り前の事で、少しも異とするに及ばぬけれど、大隅君のは、他の学友に較べて目立って進捗《しんちょく》が早かった。そうしてそれが、やがて大隅君のあの鬱然たる風格の要因にさえなった様子であったが、思いやりの深い山田勇吉君は、或る時、見かねて、松葉を束《たば》にしてそれでもって禿げた部分をつついて刺戟《しげき》すると毛髪が再生して来るそうです、と真顔で進言して、かえって大隅君にぎょろりと睨《にら》まれた事があった。
「大隅さんのお嫁さんが見つかりました。」と山田君は久しぶりに私の寓居《ぐうきょ》を訪れて、頗《すこぶ》る緊張しておっしゃるのである。
「大丈夫ですか。大隅君は、あれで、なかなかむずかしいのですよ。」大隅君は大学の美学科を卒業したのである。美人に対しても鑑賞眼がきびしいのである。
「写真を、北京へ送ってやったのです。すると、大隅さんから、是非、という御返事がまいりました。」山田君は、内ポケットをさぐって、その大隅君からの返事を取出し、「いや、これはお見せ出来ません。大隅さんに悪いような気がします。少し感傷的な、あまい事なども書かれてありますから。まあ、御推察を願います。」
「それは、よかった。まとめてやったら、どうですか。」
「僕ひとりでは駄目です。あなたにも御助力ねがいたい。きょうこれから先方へ、申込みに行こうと思っているのですが、あなたのところに大隅さんの最近の写真がありませんか。先方に見せなければいけません。」
「最近は、大隅君からあまり便りがないのですが、三年ほど前に北京から送って寄こした写真なら、一、二枚あったと思います。」
はるかに紫禁城《しきんじょう》を眺めている横顔の写真。碧雲寺《へきうんじ》を背景にして支那服を着て立っている写真。私はその二枚を山田君に手渡した。
「これはいい。髪の毛も、濃くなったようですね。」山田君は、何よりも先に、その箇所に目をそそいで言った。
「でも、光線の加減で、そんなに濃く写ったのかも知れませんよ。」私には、自信が無かった。
「いや、そんな事はない。このごろ、いい薬が発明されたそうですからね。イタリヤ製の、いい薬があるそうです。北京で彼は、そのイタリヤ製をひそかに用いたのかも知れない。」
うまく、まとまった様子であった。すべて、山田君のお骨折のおかげであろう。しかるに、昨年の秋、山田君から手紙が来て、小生は呼吸器をわるくしたので、これから一箇年、故郷に於いて静養して来るつもりだ、ついては大隅氏の縁談は貴君にたのむより他《ほか》は無い、先方の御住所は左記のとおりであるから、よろしく聯絡《れんらく》せよ、という事であった。臆病な私には、人の結婚の世話など、おそろしくてたまらなかった。けれども、大隅君には友人も少いし、いまはもう私が引受けなければ、せっかくの縁談もふいになってしまうにきまっているし、とにかく私は北京の大隅君に手紙を出した。
拝啓。山田君は病気で故郷へ帰った。貴兄の縁談は小生が引継がなければならなくなった。しかるに小生は、君もご存じのとおり、人の世話など出来るがらの男ではない。素寒貧《すかんぴん》のその日暮しだ。役に立ちやしないんだ。けれども、小生と雖《いえど》も、貴兄の幸福な結婚を望んでいる事に於いては人後に落ちないつもりだ。なんでも言いつけてくれ給え。小生は不精だから、人の事に就いて自動的には働かないが、言いつけられた限りの事は、やってもよい。末筆ながら、おからだを大事にして、阿片などには見向
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