という事で、私は彼のそのような誇らしげの音信に接する度毎《たびごと》に、いよいよ彼に対する尊敬の念をあらたにせざるを得なかったわけであったが、私には故郷の老母のような愚かな親心みたいなものもあって、彼の大抱負を聞いて喜ぶと共に、また一面に於いては、ハラハラして、とにかくまあ、三日坊主ではなく、飽《あ》かずに気長にやって下さい、からだには充分に気をつけて、阿片などは絶対に試みないように、というひどく興醒《きょうざ》めの現実的の心配ばかり彼に言ってやるので、彼も面白くなくなったか、私への便りも次第に少くなって来た。昨年の春であったか、私は山田勇吉君の訪問を受けた。
 山田勇吉君という人は、そのころ丸の内の或《あ》る保険会社に勤めていたようである。やはり私たちと大学が同期であって、誰よりも気が弱く、私たちはいつもこの人の煙草ばかりを吸っていた。そうしてこの人は、大隅君の博識に無条件に心服《しんぷく》し、何かと大隅君の身のまわりの世話を焼いていた。大隅君の厳父には、私は未だお目にかかった事は無いが、美事な薬鑵頭《やかんあたま》でいらっしゃるそうで、独り息子の忠太郎君もまた素直に厳父の先例に従い、大学を出た頃から、そろそろ前額部が禿《は》げはじめた。男子が年と共に前額部の禿げ上るのは当り前の事で、少しも異とするに及ばぬけれど、大隅君のは、他の学友に較べて目立って進捗《しんちょく》が早かった。そうしてそれが、やがて大隅君のあの鬱然たる風格の要因にさえなった様子であったが、思いやりの深い山田勇吉君は、或る時、見かねて、松葉を束《たば》にしてそれでもって禿げた部分をつついて刺戟《しげき》すると毛髪が再生して来るそうです、と真顔で進言して、かえって大隅君にぎょろりと睨《にら》まれた事があった。
「大隅さんのお嫁さんが見つかりました。」と山田君は久しぶりに私の寓居《ぐうきょ》を訪れて、頗《すこぶ》る緊張しておっしゃるのである。
「大丈夫ですか。大隅君は、あれで、なかなかむずかしいのですよ。」大隅君は大学の美学科を卒業したのである。美人に対しても鑑賞眼がきびしいのである。
「写真を、北京へ送ってやったのです。すると、大隅さんから、是非、という御返事がまいりました。」山田君は、内ポケットをさぐって、その大隅君からの返事を取出し、「いや、これはお見せ出来ません。大隅さんに悪いような気がします
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