せられている事をそのとおりに信じ、それ以上の事は知ろうとも思わない極めて平凡な国民なのである。けれども、また大隅君にとっては、この五年振りで逢った東京の友人が、相変らず迂愚《うぐ》な、のほほん顔をしているのを見て、いたたままらぬ技癢《ぎよう》でも感ずるのであろうか、さかんに私たちの生活態度をののしるのだ。
「疲れたろう。寝ないか。」私は大隅君の土産話《みやげばなし》のちょっと、とぎれた時にそう言った。
「ああ、寝よう。夕刊を枕頭《ちんとう》に置いてくれ。」
 翌《あく》る朝、私は九時頃に起きた。たいてい私は八時前に起床するのだが、大隅君のお相手をして少し朝寝坊したのだ。大隅君は、なかなか起きない。十時頃、私は私の蒲団《ふとん》だけさきに畳《たた》む事にした。大隅君は、私のどたばた働く姿を寝ながら横目で見て、
「君は、めっきり尻の軽い男になったな。」と言って、また蒲団を頭からかぶった。

 その日は、私が大隅君を小坂氏のお宅へ案内する事になっていた。大隅君と小坂氏の令嬢とは、まだいちども逢《あ》っていないのである。互いの家系と写真と、それから中に立った山田勇吉君の証言だけにたよって、取りきめられた縁である。何せ北京と、東京である。大隅君だって、いそがしいからだである。見合いだけのために、ちょっと東京へやって来るというわけにも行かなかったようである。きょうはじめて、相逢うのだ。人生の、最も大事な日といっていいかも知れない。けれども大隅君は、どういうものか泰然《たいぜん》たるものであった。十一時頃、やっとお目ざめになり、新聞ないかあと言い、寝床に腹這《はらば》いになりながら、ひとしきり朝刊の検閲をして、それから縁側に出て支那の煙草をくゆらす。
「鬚《ひげ》を、剃《そ》らないか。」私は朝から何かと気をもんでいたのだ。
「そんな必要も無いだろう。」奇妙に大きく出る。私のこせこせした心境を軽蔑しているようにも見える。
「きょうは、でも、小坂さんの家へ行くんだろう?」
「うむ、行って見ようか。」
 行って見ようかも無いもんだ。御自分の嫁さんと逢うんじゃないか。
「なかなかの美人のようだぜ。」私は、大隅君がも少し無邪気にはしゃいでくれてもいいと思った。「君が見ないさきに僕が拝見するのは失礼だと思ったから、ほんのちらと瞥見《べっけん》したばかりだが、でも、桜の花のような印象を受けた。
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