ありそうろううんぬん》、という激励のお言葉を賜り、先生はどんなに私を頭の悪い駄目な男と思っているのか、その短いお便りに依《よ》って更にはっきりわかったような気がして、有難く思うと共に、また深刻に苦笑したものであった。けれども、私は先生からそのように駄目な男と思われて、かえって気が楽なのである。瀬川先生ほどの人物に、見込みのある男と思われては、かえって大いに窮屈でかなわないのではあるまいか。私は、どうせ、駄目な男と思われているのだから、先生に対して少しも気取る必要は無い。かえって私は、勝手気ままに振舞えるのである。その日、私は久しぶりで先生のお宅へお伺いして、大隅君の縁談を報告し、ついては一つ先生に媒妁の労をとっていただきたいという事を頗る無遠慮な口調でお願いした。先生は、そっぽを向いて、暫《しばら》く黙って考えて居られたが、やがて、しぶしぶ首肯《しゅこう》せられた。私は、ほっとした。もう大丈夫。
「ありがとうございます。何せ、お嫁さんのおじいさんは、槍の名人だそうですからね、大隅君だって油断は出来ません。そこのところを先生から大隅君に、よく注意してやったほうがいいと思います。あいつは、どうも、のんき過ぎますから。」
「それは心配ないだろう。武家の娘は、かえって男を敬《うやま》うものだ。」先生は、真面目である。「それよりも、どうだろう。大隅の頭はだいぶ禿げ上っていたようだが。」やっぱり、その事が先生にとっても、まず第一に気がかりになる様子であった。まことに、海よりも深きは師の恩である。私は、ほろりとした。
「たぶん、大丈夫だろうと思います。北京から送られて来た写真を見ましたが、あれ以上進捗していないようです。なんでも、いまは、イタリヤ製のいい薬があるそうですし、それに先方の小坂吉之助氏だって、ずいぶん見事な、――」
「それは、としとってから禿げるのは当りまえの事だが。」先生は、浮かぬ顔をしてそう言った。先生も、ずいぶん見事に禿げておられた。
数日後、大隅忠太郎君は折鞄《おりかばん》一つかかえて、三鷹の私の陋屋《ろうおく》の玄関に、のっそりと現われた。お嫁さんを迎えに、はるばる北京からやって来たのだ。日焼けした精悍《せいかん》な顔になっていた。生活の苦労にもまれて来た顔である。それは仕方の無い事だ。誰だって、いつまでも上品な坊ちゃんではおられない。頭髪は、以前より少
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