っていることにしたのである。
私は、やさしくなってしまった。
あれから、もう五年経った。そうして今でもなお私は、半きちがいと思われているようだ。私の名前と、そうしてその名前にからまる伝説だけを聞き、私といちども逢ったことの無い人が、何かの会で、私の顔を、気味わるそうに、また不思議なものを見るような、なんとも言えない失敬な視線で、ちらちら観察しているのを、私はちゃんと知っている。私が厠《かわや》に立つと、すぐその背後で、「なんだ、太宰《だざい》って、そんな変ったやつでも無いじゃないか。」と大声で言うのが、私の耳にも、ちらとはいることがあった。私は、そのたびごとに、へんな気がする。私は、もう、とうから死んでいるのに、おまえたちは、気がつかないのだ。たましいだけが、どうにか生きて。
私は、いま人では無い。芸術家という、一種奇妙な動物である。この死んだ屍《むくろ》を、六十歳まで支え持ってやって、大作家というものをお目にかけて上げようと思っている。その死骸が書いた文章の、秘密を究明しようたって、それは無駄だ。その亡霊が書いた文章の真似をしようたって、それもかなわぬ。やめたほうがいい。にこにこ笑っている私を、太宰ぼけたな、と囁《ささや》いている友人もあるようだ。それは間違いないのだ、呆《ぼ》けたのだ、けれども、――と言いかけて、あとは言わぬ。ただ、これだけは信じたまえ。「私は君を、裏切ることは無い。」
エゴが喪失してしまっているのだ。それから、――と言いかけて、これも言いたくなし。もう一つ言える。私を信じないやつは、ばかだ。
さて、兵隊さんの原稿の話であるが、私は、てれくさいのを堪《こら》えて、編輯者《へんしゅうしゃ》にお願いする。ときたま、載せてもらえることがある。その雑誌の広告が新聞に出て、その兵隊さんの名前も、立派な小説家の名前とならんでいるのを見たときは、私は、六年まえ、はじめて或る文芸雑誌に私の小品が発表された、そのときの二倍くらい、うれしかった。ありがたいと思った。早速《さっそく》、編輯者へ、千万遍のお礼を述べる。新聞の広告を切り抜いて戦線へ送る。お役に立った。これが私に、できる精一ぱいの奉公だ。戦線からも、ばんざいであります、という無邪気なお手紙が来る。しばらくして、その兵隊さんの留守宅の奥さんからも、もったいない言葉の手紙が来る。銃後奉公。どうだ。これでも私はデカダンか。これでも私は、悪徳者か。どうだ。
しかし、私はそれを誰にも言えぬ。考えてみると、それは婦女子の為《な》すべき奉公で、別段誇るべきほどのことでも無かった。私はやっぱり阿呆《あほう》みたいに、時流にうとい様子の、謂《い》わば「遊戯文学」を書いている。私は、「ぶん」を知っている。私は、矮小の市民である。時流に対して、なんの号令も、できないのである。さすがにそれが、ときどき侘《わ》びしくふらと家を出て、石を蹴り蹴り路を歩いて、私は、やはり病気なのであろうか。私は小説というものを間違って考えているのであろうか、と思案にくれて、いや、そうで無いと打ち消してみても、さて、自分に自信をつける特筆大書の想念が浮ばぬ。確乎《かっこ》たる言葉が無いのだ。のどまで出かかっているような気がしながら、なんだか、わからぬ。私は漂泊の民である。波のまにまに流れ動いて、そうしていつも孤独である。よいしょと、水たまりを飛び越して、ほっとする。水たまりには秋の空が写って、雲が流れる。なんだか、悲しく、ほっとする。私は、家に引き返す。
家へ帰ると、雑誌社の人が来て待っていた。このごろ、ときどき雑誌社の人や、新聞社の人が、私の様子を見舞いに来る。私の家は三鷹《みたか》の奥の、ずっと奥の、畑の中に在るのであるが、ほとんど一日がかりで私の陋屋《ろうおく》を捜しまわり、やあ、ずいぶん遠いのですね、と汗を拭きながら訪ねて来る。私は不流行の、無名作家なのだから、その都度たいへん恐縮する。
「病気は、もう、いいのですか?」必ず、まず、そうきかれる。私は馴れているので、
「ええ、ふつうの人より丈夫です。」
「どんな工合だったんですか?」
「五年まえのことです。」と答えて、すましている。きちがいでした、などとは答えたくない。
「噂では、」と向うのほうから、白状する。「ずいぶん、ひどかったように聞いていますが。」
「酒を呑《の》んでいるうちに、なおりました。」
「それは、へんですね。」
「どうしたのでしょうね。」主人も、客と一緒に不思議がっている。「なおっていないのかも知れませんけれど、まあ、なおったことにしているのです。際限がないですものね。」
「酒は、たくさん呑みますか?」
「ふつうの人くらいは呑みます。」
その辺の応答までは、まず上出来の部類なのであるが、あと、だんだんいけなくなる。しどろもどろになるのである。
「どう思います、このごろの他の人の小説を、どう思います。」と問われて、私は、ひどくまごつく。敢然《かんぜん》たる言葉を私は、何も持っていないのだ。
「そうですねえ。あんまり読んでいないのですが、何か、いいのがありますか? 読めば、たいてい感心するのですが、とにかく、皆よく、さっさと書けるものだと、不思議な気さえするのです。皮肉じゃ無いんです。からだが丈夫なのでしょうかね。実に、皆、すらすら書いています。」
「Aさんの、あれ読みましたか。」
「ええ、雑誌をいただいたので読みました。」
「あれは、ひどいじゃないか。」
「そうかなあ。僕には面白かったんですが。もっと、ひどい作品だって、たくさんあるんじゃ無いですか? 何も、あれを殊更《ことさら》に非難するては無いと思うんですが。どんな、ものでしょう。何せ、僕は、よく知らんので。」私の答弁は、狡猾《こうかつ》の心から、こんなに煮え切らないのでは無くて、むしろ、卑屈の心から、こんなに、不明瞭になってしまうのである。皆、私より偉いような気がしているし、とにかく誰でも一生懸命、精一ぱいで生きているのが判っているし、私は何も言えなくなるのだ。
「Bさんを知っていますか?」
「ええ、知っています。」
「こんど、あのひとに小説を書いていただくことになっていますが。」
「ああ、それは、いいですね。Bさんは、とてもいい人です。ぜひ書いてもらいなさい。きっと、いま素晴しいのが書けると思います。Bさんには、以前、僕もお世話になったことがあります。」お金を借りているのだ。
「あなたは、どうです。書けますか?」
「僕は、だめです。まるっきり、だめです。下手くそなんですね。恋愛を物語りながら、つい演説口調になったりなんかして、ひとりで呆れて笑ってしまうことがあります。」
「そんなことは無いだろう。あなたは、これまで、若いジェネレエションのトップを切っていたのでしょう?」
「冗談じゃない。このごろは、まるで、ファウストですよ。あの老博士の書斎での呟《つぶや》きが、よくわかるようになりました。ひどく、ふけちゃったんですね。ナポレオンが三十すぎたらもう、わが余生は、などと言っていたそうですが、あれが判って、可笑《おか》しくて仕様が無い。」
「余生ということを、あなた自身に感じるのですか?」
「僕は、ナポレオンじゃ無いし、そんな、まさか、そんな、まるで違うのですが、でも、ふっと余生を感じることがありますね。僕は、まさか、ファウスト博士みたいに、まさか、万巻の書を読んだわけでは無いんですが、でも、あれに似た虚無を、ふっと感じることがあるんですね。」ひどくしどろもどろになって来た。
「そんなことじゃ、仕様が無いじゃないですか。あなたは、失礼ですけど、おいくつですか。」
「僕は、三十一です。」
「それじゃ、Cさんより一つ若い。Cさんは、いつ逢っても元気ですよ。文学論でもなんでも、実に、てきぱき言います。あの人の眼は、実にいい。」
「そうですね。Cさんは、僕の高等学校の先輩ですが、いつも、うるんだ情熱的な眼をしていますね。あの人も、これからどんどん書きまくるでしょう。僕は、あの人を好きですよ。」そのCさんにも、私は五年前、たいへんな迷惑をかけている。
「あなたは一体、」と客も私の煮え切らなさに腹が立って来た様子で語調を改め、「小説を書くに当ってどんな信条を持っているのですか。たとえば、ヒュウマニティだとか、愛だとか、社会正義だとか、美だとか、そんなもの、文壇に出てから、現在まで、またこれからも持ちつづけて行くだろうと思われるもの、何か一つでもありますか。」
「あります。悔恨《かいこん》です。」こんどは、打てば響くの快調を以て、即座に応答することができた。「悔恨の無い文学は、屁《へ》のかっぱです。悔恨、告白、反省、そんなものから、近代文学が、いや、近代精神が生れた筈なんですね。だから、――」また、どもってしまった。
「なるほど、」と相手も乗り出して来て、「そんな潮流が、いま文壇に無くなってしまったのですね。それじゃ、あなたは梶井《かじい》基次郎などを好きでしょうね。」
「このごろ、どうしてだか、いよいよ懐かしくなって来ました。僕は、古いのかも知れませんね。僕は、ちっとも自分の心を誇っていません。誇るどころか、実に、いやらしいものだと恥じています。宿業《しゅくごう》という言葉は、どういう意味だか、よく知りませんけれど、でもそれに近いものを自身に感じています。罪の子、というと、へんに牧師さんくさくなって、いけませんが、なんといったらいいのかなあ、おれは悪い事を、いつかやらかした、おれは、汚ねえ奴《やつ》だという意識ですね。その意識を、どうしても消すことができないので、僕は、いつでも卑屈なんです。どうも、自分でも、閉口なのですが、――でも、」言いかけて、またもや、つまずいてしまった。聖書のことを言おうと思ったのだ。私は、あれで救われたことがある、と言おうと思ったのだが、どうもてれくさくて、言えない。いのちは糧《かて》にまさり、からだは衣《ころも》に勝るならずや。空飛ぶ鳥を見よ、播《ま》かず、刈らず、倉に収めず。野の百合《ゆり》は如何《いか》にして育つかを思え、労せず、紡《つむ》がざるなり、されど栄華を極めしソロモンだに、その服装《よそおい》この花の一つにも如《し》かざりき。きょうありて明日、炉に投げ入れらるる野の草をも、神はかく装い給えば、まして汝らをや。汝ら、之《これ》よりも遥かに優《すぐ》るる者ならずや。というキリストの慰めが、私に、「ポオズでなく」生きる力を与えてくれたことが、あったのだ。けれども、いまは、どうにも、てれくさくて言えない。信仰というものは、黙ってこっそり持っているのが、ほんとうで無いのか。どうも、私は、「信仰」という言葉さえ言い出しにくい。
それから、いろいろとまた、別の話もしたが、来客は、私の思想の歯切れの悪さに、たいへん失望した様子でそろそろ帰り仕度をはじめた。私は、心からお気の毒に感じた。何か、すっきりしたいい言葉が無いものかなあ、と思案に暮れるのだが、何も無い。私は、やはり、ぼんやり間抜顔《まぬけがお》である。きっと私を、いま少し出世させてやろうと思って、私の様子を見に来てくれたのにちがいないと、その来客の厚志が、よくわかっているだけに、なおさら、自身のぶざまが、やり切れない。お客が帰って、私は机の前に呆然と坐って、暮れかけている武蔵野の畑を眺めた。別段、あらたまった感慨もない。ただ、やり切れなく侘《わ》びしい。
なんじを訴うる者と共に途《みち》に在《あ》るうちに、早く和解せよ。恐らくは、訴うる者なんじを審判人《さばきびと》にわたし、審判人は下役《したやく》にわたし、遂になんじは獄《ひとや》に入れられん。誠に、なんじに告ぐ、一厘《いちりん》も残りなく償わずば、其処《そこ》を出づること能《あた》わじ。(マタイ五の二十五、六。)これあ、おれにも、もういちど地獄が来るのかな? と、ふと思う。おそろしく底から、ごうと地鳴《じなり》が聞えるような不安である。私だけであろうか。
「おい、お金をくれ。いくらある?」
「さあ、四、五円はございましょう。」
「
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