る。在るものは、不義理な借財だけである。かみなりに家を焼かれて瓜《うり》の花。そんな古人の句の酸鼻《さんび》が、胸に焦げつくほどわかるのだ。私は、人間の資格をさえ、剥奪《はくだつ》されていたのである。
 私は、いま、事実を誇張して書いてはいけない。充分に気をつけて書いているのであるから、読者も私を信用していいと思う。れいのひとりよがりの誇張法か、と鼻であしらわれるのが、何より、いやだ。当時、私は、人から全然、相手にされなかった。何を言っても、人は、へんな眼つきをして、私の顔をそっと盗み見て、そうして相手にしないのだ。私についての様々の伝説が、ポンチ画が、さかしげな軽侮《けいぶ》の笑いを以て、それからそれと語り継がれていたようであるが、私は当時は何も知らず、ただ、街頭をうろうろしていた。一年、二年経つうちに、愚鈍の私にも、少しずつ事の真相が、わかって来た。人の噂《うわさ》に依れば、私は完全に狂人だったのである。しかも、生れたときからの狂人だったのである。それを知って、私は爾来《じらい》、唖になった。人と逢いたくなくなった。何も言いたくなくなった。何を人から言われても、外面ただ、にこにこ笑
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