師の王国が在るのだ。私は、兵隊さんの書いたいくつかの小説を読んで、いけないと思った。その原稿に対しての、私の期待が大きすぎるのかも知れないが、私は戦線に、私たち丙種のものには、それこそ逆立《さかだ》ちしたって思いつかない全然新らしい感動と思索が在るのではないかと思っているのだ。茫洋《ぼうよう》とした大きなもの。神を眼のまえに見るほどの永遠の戦慄《せんりつ》と感動。私は、それを知らせてもらいたいのだ。大げさな身振りでなくともよい。身振りは、小さいほどよい。花一輪に託して、自己のいつわらぬ感激と祈りとを述べるがよい。きっと在るのだ。全然新しいものが、そこに在るのだ。私は、誇りを以て言うが、それは、私の芸術家としての小さな勘《かん》でもって、わかっているのだ。でも、私には、それを具体的には言えない。私は、戦線を知らないのだから。自己の経験もせぬ生活感情を、あてずっぽうで、まことしやかに書くほど、それほど私は不遜《ふそん》な人間ではない。いや、いや、才能が無いのかも知れぬ。自身、手さぐって得たところのものでなければ、絶対に書けない。確信の在る小さい世界だけを、私は踏み固めて行くより仕方がない。
前へ 次へ
全25ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング