も》る。私は配給のまずしい弁当をひらいて、ぼそぼそたべる。佃煮《つくだに》わびしく、それでも一粒もあますところ無くたべて、九銭のバットを吸う。夜がふけて、寝なければならぬ。私は、寝る。枕の下に、すさまじい車輪|疾駆《しっく》の叫喚《きょうかん》。けれども、私は眠らなければならぬ。眼をつぶる。イマハ山中、イマハ浜、――童女があわれな声で、それを歌っているのが、車輪の怒号の奥底から聞えて来るのである。
 祖国を愛する情熱、それを持っていない人があろうか。けれども、私には言えないのだ。それを、大きい声で、おくめんも無く語るという業《わざ》が、できぬのだ。出征の兵隊さんを、人ごみの陰から、こっそり覗《のぞ》いて、ただ、めそめそ泣いていたこともある。私は丙種《へいしゅ》である。劣等の体格を持って生れた。鉄棒にぶらさがっても、そのまま、ただぶらんとさがっているだけで、なんの曲芸も動作もできない。ラジオ体操さえ、私には満足にできないのである。劣等なのは、体格だけでは無い。精神が薄弱である。だめなのである。私には、人を指導する力が無い。誰にも負けぬくらいに祖国を、こっそり愛しているらしいのだが、私には何も言えない。なんだか、のどまで出かかっている、ほんとうの愛の宣言が私にも在るような気がするのであるが、言えない。知っていながら、言わないのではない。のどまで出かかっているような気がするのだが、なんとしても出て来ない。それはほんとうにいい言葉のような気もするのであるが、そうして私も今その言葉を、はっきり掴《つか》みたいのであるが、あせると尚《なお》さら、その言葉が、するりするりと逃げ廻る。私は赤面して、無能者の如く、ぼんやり立ったままである。一片の愛国の詩も書けぬ。なんにも書けぬ。ある日、思いを込めて吐いた言葉は、なんたるぶざま、「死のう! バンザイ。」ただ死んでみせるより他に、忠誠の方法を知らぬ私は、やはり田舎《いなか》くさい馬鹿である。
 私は、矮小《わいしょう》無力の市民である。まずしい慰問袋を作り、妻にそれを持たせて郵便局に行かせる。戦線から、ていねいな受取通知が来る。私はそれを読み、顔から火の発する思いである。恥ずかしさ。文字のとおりに「恐縮」である。私には、何もできぬのだ。私には、何一つ毅然《きぜん》たる言葉が無いのだ。祖国愛の、おくめんも無き宣言が、なぜだか、私には、でき
前へ 次へ
全13ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング