て出る波の模様を眺めながらうなずいた。せま苦しい箱の中で過したながい旅路を回想したのである。
「なんだか知れぬが、おおきい海を。」
「うん。」また、うなずいてやった。
「やっぱり、おれと同じだ。」
彼はそう呟《つぶや》き、滝口の水を掬《すく》って飲んだ。いつの間にか、私たちは並んで坐っていたのである。
「ふるさとが同じなのさ。一目、見ると判る。おれたちの国のものは、みんな耳が光っているのだよ。」
彼は私の耳を強くつまみあげた。私は怒って、彼のそのいたずらした右手をひっ掻《か》いてやった。それから私たちは顔を見合せて笑った。私は、なにやらくつろいだ気分になっていたのだ。
けたたましい叫び声がすぐ身ぢかで起った。おどろいて振りむくと、ひとむれの尾の太い毛むくじゃらな猿が、丘のてっぺんに陣どって私たちへ吠《ほ》えかけているのである。私は立ちあがった。
「よせ、よせ。こっちへ手むかっているのじゃないよ。ほえざるという奴さ。毎朝あんなにして太陽に向って吠えたてるのだ。」
私は呆然《ぼうぜん》と立ちつくした。どの山の峯にも、猿がいっぱいにむらがり、背をまるくして朝日を浴びているのである。
「これは、みんな猿か。」
私は夢みるようであった。
「そうだよ。しかし、おれたちとちがう猿だ。ふるさとがちがうのさ。」
私は彼等を一匹一匹たんねんに眺め渡した。ふさふさした白い毛を朝風に吹かせながら児猿に乳を飲ませている者。赤い大きな鼻を空にむけてなにかしら歌っている者。縞《しま》の美事な尾を振りながら日光のなかでつるんでいる者。しかめつらをして、せわしげにあちこちと散歩している者。
私は彼に囁《ささや》いた。
「ここは、どこだろう。」
彼は慈悲ふかげな眼ざしで答えた。
「おれも知らないのだよ。しかし、日本ではないようだ。」
「そうか。」私は溜息《ためいき》をついた。「でも、この木は木曾樫のようだが。」
彼は振りかえって枯木の幹をぴたぴたと叩き、ずっと梢を見あげたのである。
「そうでないよ。枝の生えかたがちがうし、それに、木肌の日の反射のしかただって鈍いじゃないか。もっとも、芽が出てみないと判らぬけれど。」
私は立ったまま、枯木へ寄りかかって彼に尋ねた。
「どうして芽が出ないのだ。」
「春から枯れているのさ。おれがここへ来たときにも枯れていた。あれから、四月、五月、六月、と三つきも経っているが、しなびて行くだけじゃないか。これは、ことに依ったら挿木《さしき》でないかな。根がないのだよ、きっと。あっちの木は、もっとひどいよ。奴等のくそだらけだ。」
そう言って彼は、ほえざるの一群を指さした。ほえざるは、もう啼《な》きやんでいて、島は割合に平静であった。
「坐らないか。話をしよう。」
私は彼にぴったりくっついて坐った。
「ここは、いいところだろう。この島のうちでは、ここがいちばんいいのだよ。日が当るし、木があるし、おまけに、水の音が聞えるし。」彼は脚下の小さい滝を満足げに見おろしたのである。「おれは、日本の北方の海峡ちかくに生れたのだ。夜になると波の音が幽《かす》かにどぶんどぶんと聞えたよ。波の音って、いいものだな。なんだかじわじわ胸をそそるよ。」
私もふるさとのことを語りたくなった。
「おれには、水の音よりも木がなつかしいな。日本の中部の山の奥の奥で生れたものだから。青葉の香はいいぞ。」
「それあ、いいさ。みんな木をなつかしがっているよ。だから、この島にいる奴は誰にしたって、一本でも木のあるところに坐りたいのだよ。」言いながら彼は股の毛をわけて、深い赤黒い傷跡をいくつも私に見せた。「ここをおれの場所にするのに、こんな苦労をしたのさ。」
私は、この場所から立ち去ろうと思った。「おれは、知らなかったものだから。」
「いいのだよ。構わないのだよ。おれは、ひとりぼっちなのだ。いまから、ここをふたりの場所にしてもいい。だが、もう枝を折らないようにしろよ。」
霧はまったく晴れ渡って、私たちのすぐ眼のまえに、異様な風景が現出したのである。青葉。それがまず私の眼にしみた。私には、いまの季節がはっきり判った。ふるさとでは、椎《しい》の若葉が美しい頃なのだ。私は首をふりふりこの並木の青葉を眺めた。しかし、そういう陶酔《とうすい》も瞬時に破れた。私はふたたび驚愕《きょうがく》の眼を見はったのである。青葉の下には、水を打った砂利道が涼しげに敷かれていて、白いよそおいをした瞳の青い人間たちが、流れるようにぞろぞろ歩いている。まばゆい鳥の羽を頭につけた女もいた。蛇の皮のふとい杖をゆるやかに振って右左に微笑を送る男もいた。
彼は私のわななく胴体をつよく抱き、口早に囁いた。
「おどろくなよ。毎日こうなのだ。」
「どうなるのだ。みんなおれたちを狙っている。」山
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