らしてしまった。これは、いけない。多少、不愉快である。
君に聞くが、サンボルでなければものを語れない人間の、愛情の細かさを、君、わかるかね。
どうも、たいへん、不愉快である。多少でも、君にわからせようと努めた、私自身の焦慮に気づいて、私は、こんなに不機嫌になってしまった。私自身の孤独の破綻《はたん》が不愉快なのである。こうなって来ると、浪曼的完成も、自分で言い出して置きながら、十分あやしいものである。とたんに声あり、そのあやしさをも、ひっくるめて、これを浪曼的完成と称するのである。
私は、ディレッタントである。物好きである。生活が作品である。しどろもどろである。私の書くものが、それがどんな形式であろうが、それはきっと私の全存在に素直なものであった筈である。この安心は、たいしたものだ。すっかり居直ってしまった形である。自分ながらあきれている。どうにも、手のつけようがない。
ひとつ君を、笑わせてあげよう。これは小声で言うことであるが、どうも私は、このごろ少し太りすぎてしまいまして。
できすぎてしまった。図体が大きすぎて、内々、閉口している。晩成すべき大器かも知れぬ。一友人から、銅像演技《スタチュ・プレイ》という讃辞を贈られた。恰好《かっこう》の舞台がないのである。舞台を踏み抜いてしまう。野外劇場はどうか。
俳優で言えば、彦三郎、などと、訪客を大いに笑わせて、さてまた、小声で呟くことには、「悪魔《サタン》はひとりすすり泣く。」この男、なかなか食えない。
作家は、ロマンスを書くべきである。
底本:「太宰治全集10」ちくま文庫、筑摩書房
1989(平成元)年6月27日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月
初出:「新潮」
1938(昭和13)年3月1日発行
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2005年3月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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