が悪くなったと嘘をついて、一週間も寝て、それから頸《くび》に繃帯《ほうたい》を巻いて、やたらに咳《せき》をしながら、お医者に見せに行ったら、レントゲンで精細にしらべられ、稀《まれ》に見る頑強の肺臓であるといって医者にほめられた。文学鑑賞は、本格的であった。実によく読む。洋の東西を問わない。ちから余って自分でも何やら、こっそり書いている。それは本箱の右の引き出しに隠して在る。逝去《せいきょ》二年後に発表のこと、と書き認《したた》められた紙片が、その蓄積された作品の上に、きちんと載せられているのである。二年後が、十年後と書き改められたり、二カ月後と書き直されたり、ときには、百年後、となっていたりするのである。次男は、二十四歳。これは、俗物であった。帝大の医学部に在籍。けれども、あまり学校へは行かなかった。からだが弱いのである。これは、ほんものの病人である。おどろくほど、美しい顔をしていた。吝嗇《りんしょく》である。長兄が、ひとにだまされて、モンテエニュの使ったラケットと称する、へんてつもない古ぼけたラケットを五十円に値切って買って来て、得々《とくとく》としていたときなど、次男は、陰でひとり
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