聞くところに過ぎて我を思うことあらん。我は我が蒙りたる黙示の鴻大《こうだい》なるによりて高ぶることの莫からんために肉体に一つの刺《とげ》を与えらる。即ち高ぶること莫からんために我を撃つサタンの使なり。われ之がために三度まで之を去らしめ給わんことを主に求めたるに、言いたまう、「わが恩恵なんじに足れり。わが能力《ちから》は、弱きうちに全うせらるればなり。」然ればキリストの能力《ちから》の我を庇わんために、寧ろ大いに喜びて我が微弱《よわき》を誇らん。この故に我はキリストの為に、微弱、恥辱、艱難《なやみ》、迫害、苦難に遭うことを喜ぶ。そは我、よわき時に強ければなり。」と言ってみたが、まだ言い足りず、「われ汝らに強いられて愚かになれり、我は汝らに誉《ほ》めらるべかりしなり。我は教うるに足らぬ者なれども、何事にもかの大使徒たちに劣らざりしなり。」と愚痴に似た事をさえ、附け加えている。そうして、おしまいには、群集に、ごめんなさい、ごめんなさいと、あやまっている。まるで、滅茶苦茶である。このコリント後書は、神学者たちにとって、最も難解なものとせられている様であるが、私たちには、何だか、一ばんよくわかるような気がする。高揚と卑屈の、あの美しい混乱である。他の本《ほん》で読んだのだが、パウロは、当時のキリスト党から、ひどい個人攻撃を受けたそうである。
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一、彼の風采上らず、その言語野卑なり。例えば、(その書《ふみ》は重く、かつ強し。その逢うときの容貌《かたち》は弱く、言《ことば》は鄙《いや》し。)と言われ、パウロは無念そうに、(我は何事にも、かの大使徒たちに劣らずと思う。われ言葉に拙《つたな》けれども知識には然らず、凡ての事にて全く之を汝らに顕《あらわ》せり。われ汝らを高うせんために自己《みずから》を卑《ひく》うし、価なくして神の福音を伝えたるは罪なりや。)と反問している。
二、横暴なり。破壊的なり。
三、自家広告が上手で、自分のことばかり言っている。
四、臆病なり。弱い男なり。意気揚らず。
五、不誠実。悪巧《わるだくみ》をする。狡猾であり、詭計を以て掠め取るということ。
六、彼の病気。癲癇ではないか。(肉体に一つの刺《とげ》を与えらる云々。)
七、彼が約束を守らぬということ。
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その他、到れり尽せりの人身攻撃を受けたようである。(塚本虎
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