んて言って泣いた事に就いて、「うち、気がもめる」というのは、すなわち、竹さんが僕に前から思召《おぼしめ》しがある証拠ではなかろうか、とばかな自惚《うぬぼ》れを起したいところだが、僕には、みじんもそんな気持が起らない。竹さんは、なりばかり大きくて、ちっともお色気の無い人だ。いつも仕事に追われて、他《ほか》の事など、考えているひまも無いようなたちの人なんだ。助手の組長という重責に緊張して、甲斐々々《かいがい》しく立働いているというだけの人なんだ。竹さんが、その前夜、マア坊を叱《しか》った。叱ったところが、マア坊はひどくしょげて、泣いたりしているという事を、他の助手から聞いて、それでは自分の叱り方が少し強すぎたのかしらと反省して、そうして心配になって来て、「うち、気がもめる」という事になった、というのがこの場合、頗《すこぶ》る野暮ったいけれども、しかし、最も健全な考え方だと思われる。それに違いないのだ。女なんて、どうせ、自分自身の立場の事ばかり考えているものさ。あたらしい男は、女に対して、ちっとも自惚れていないのだ。また、好かれるという事も無いんだ。さっぱりしたものだ。
「うち、気がもめる」
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