道場の生活は、この屈伸鍛錬と摩擦の二つで明け暮れしていると思ってよい。戦争がすんでも、物資の不足は変らないのだから、まあ当分はこんな事で闘病の心意気を示すのも悪くないじゃないか。この他《ほか》には午後一時からの講話、四時の自然、八時半からの報告などがあるけれども、講話というのは、場長、指導員、または道場へ視察にやって来る各方面の名士など、かわるがわるマイクを通じて話かけて、それが部屋の外の廊下の要所々々に設備されてある拡声機から僕たちの部屋へ流れてはいり、僕たちはベッドの上に坐《すわ》って黙って聞いているのだ。
これは、戦争中に拡声機が電力の不足でだめになったので、一時休止していたのだそうだが、戦争がすんで電力の使用が少し緩和されると同時に、またすぐはじめられたのだ。場長は、このごろ、日本の科学の発展史、とでもいうようなテーマの講義を続けている。頭のいい講義とでもいうのであろうか、淡々たる口調で、僕たちの祖先の苦労を実に平明に解説してくれる。きのうは、杉田玄白《すぎたげんぱく》の「蘭学事始《らんがくことはじめ》」に就いてお話して下さった。玄白たちが、はじめて洋書をひらいて見たが、ど
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