有様だ。けれども花宵先生は、急に威張り返るとか何とか、そんな浅墓《あさはか》な素振りは微塵《みじん》も示さず、やっぱり寡言家《かげんか》の越後獅子であって、塾生たちの詩歌の添削は、たいていかっぽれに一任しているのだ。かっぽれ、このところ大得意だ。花宵先生の一番弟子のつもりで、もっともらしい顔をして、よそのひとの苦心の作品を勝手にどんどん直している。きょうは事務所からの依頼で花宵先生がはじめて講話をする事になって、「献身」と題するお話であるが、こうして拡声機を通して流れ出る声を聞いていると、非常に貴い人から教え訓《さと》されているようなき厳粛な気持になって来る。実に落ちついた、威厳のある声である。花宵先生は、僕が考えているよりも、もっとはるかに偉い人なのかも知れない。お話の内容も、さすがにいい。すこしも古くないのである。
 献身とは、ただ、やたらに絶望的な感傷でわが身を殺す事では決してない。大違いである。献身とは、わが身を、最も華やかに永遠に生かす事である。人間は、この純粋の献身に依ってのみ不滅である。しかし献身には、何の身支度も要らない。今日ただいま、このままの姿で、いっさいを捧《ささ
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